五人組、カレンダー、『映画西口東口』

あの五人組は結局もどってきた。おどかされたりすかされたりしたのか。とんでもない大物がでてきて説得されたのか。出て行った四人はつらかっただろう。いつか彼らが自由に発言できるようになったとき、真実が語られるのか。時の首相がコメントするようなことではない。かれらが戻ってよかったと祝福する。新しい仕事の展開をもとめる者をしばりつけてとどめてしまうことを祝うのか。それは、こんなことをするとろくなことにならないと、国民にいいたいからなのか。この騒動をすぐに分析した東京新聞。元「都新聞」だもの。

 

1月21日の東京新聞朝刊「こちら特報部」の五人についての記事。

 

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〈労働問題に詳しい佐々木亮弁護士は「芸能人も労働組合法上の労働者に該当する人は多い」とした上で、今回の謝罪についても「いい大人が並ばされて謝らされている様子はとんでもない。パワハラのように見える」と問題視する。労働組合法上の労働者とは「職業の種類を問わず、賃金、給料、その他これに準ずる収入によつて生活する者」(第三条)。「報道のように、一度辞めると言った人を追い込んだとすればブラック企業にも通じる」(佐々木氏)。竹信三恵子・和光大教授(労働社会学)も「そもそも辞めるからといって人前で謝る必要もなく、パワハラっぽい」と同調するとともに、人権問題の視点も強調する.「芸能人が『商品』であるとしても、恋愛禁止を破ったとされる女性アイドルが丸刈りになったこともそうだったが、追い込まないと許されない、何をしてもいいとなれば人権上の問題もある」〉

 

〈竹信氏はSMAP騒動が「一般の労働者にとっても無縁ではない」と警鐘を鳴らす。「芸能人はシンボル的な存在。映像を視聴者に見せつけることで芸能界だけでなく、一般の雇用においても雇用主の言いなりにならなければならないという悪い影響をあたえかねない」〉

 

28日の朝日新聞朝刊の「論壇時評」もこのことをテーマにしている。

 

高橋源一郎は〈沈鬱な表情の5人が並んで立ち、思い思いに、ときに口ごもりながら、「謝罪」のことばを述べた。いったい、彼らは、なんのためにそこにいて、誰に、どんな理由でそのことばを口にしているのか。どれもよくわからないことばかりだった。同時に、これはわたしたちがよく見る光景であるようにも思えた。〉〈SMAPの「謝罪」会見を見て、どこか同じ境遇を感じた会社員は多かった。華やかな世界に生きる彼らも、実は「事務所」という「組織」が決めた暗黙のルールに従わざるをえない「組織の中の人」だったのだ。〉と書き、こう結んでいる。〈自分の足元を見つめること。そして、それがどれほど脆弱な基盤の上に置かれているか知ること。それでも自分の足で歩こうとすること。そんな場所から生まれることばを、わたしたちは必要としている。「組織」や「社会」にしゃべらされることばではなく、「自分の」ことばを。〉

 

同じ頁で、津田大介が書いている。〈ポイントは、これらの記述(スポーツ紙の報道)が客観的な事実と印象づけられる「地の文」で行われたことだ。「事務所関係者のコメント」と明記すれば、読者も「これは事務所の言い分だ」と勘案しながら読むことができる。だが、今回一部を除く芸能マスコミは軒並み情報源をぼかし、結果的に事務所の情報コントロールに加担した。理由は言うまでもない。事務所の機嫌を損ねれば、記事を作る上で貴重は情報源が失われ、自らの立場やビジネスが危うくなるからだ。〉〈今回の騒動は単なる芸能ゴシップではない。雇用者が被雇用者や取引先に圧力をかけ独立を阻害するパワハラ・独占禁止法的な問題、一企業が公共の電波を私用することを許したテレビ局のガバナンス・独立性の問題、経験を重ねた年長者が固定観念に囚われ、若い才能を潰す組織構造ーー今の日本が抱える様々な社会的閉塞を象徴する出来事だ。〉

 

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ついでに東京新聞「こちら特報部」で、五人の前日の20日に載った「アイドルの交際禁止」裁判のことも。

 

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メトロで、ボッティチェリの「聖母子(書物の聖母)」の下のお母さんと小さなこどもたち。

 

このポスターの欧文タイトルBotticelli e il suo tempo(ボッティチェリと彼の時代)の字詰めが気になる。最初の大文字の〈B〉に、1行目の〈o〉と2行目の〈e〉が近すぎる。〈B〉をのぞく行の字間が余裕があってやさしく見えるのに、前だけ詰めすぎている理由はなぜだろうか。

 

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またまた「金麦」。長ーく伸ばした音引きの右端が、檀れいの胸の微妙なところに来ている。それと次の〈い〉が彼女の左腕に食いつくようにかかる。ここにすごく複雑な形が生じている。造形的にはこういうことはさけるべきだ。シンプルにやるなら、文字はもっと下でもいいのじゃないか。いっそ、音引きがビールの黄色いところにかさなるぐらいに下げたほうがすっきりするかもしれない。音引きの右端が膝頭にかかるくらいでどうか。読点は〈い〉から離さないほうがカッコいい。字間を空ける組み方でも、句読点はベタのほうがよい。それにこんなにずらしてはだらしない。こういうことを教えられるひとがいない。〈new!〉はこんなスクリプト体でいいのかな。おざなり感がある。「金麦」と「伊右衛門 特茶」の広告のシンプルさというかスカスカ感は似ている。同じデザイナーだろうか。サントリーの最近のデザインポリシーか。インパクトのあるデザインではないが、よそはみんな押し付けがましく暑苦しい広告が多いので、すっきりは目立つのか。タレントを使っているのは、ほかとかわらないけれど。顔をどんとでかく使わないだけまし。この二つと「プレミアモルツ」の矢沢も、アップではなく引きの写真である。これは意図的なものかもしれない。

 

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前回文句をいった『MetroWalker』の実物の冊子を、飯田橋駅で見つけた。表紙は日本民藝館の展示室だ。「東京に息づく古都の暮し」という特集タイトルで、民藝館。古都の暮しで民藝とは何なのか。

 

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家には、あと二つ新しいカレンダーがあった。東急ハンズで見つけた小さな犬のカレンダー。伊勢丹の「とらや」でもらったカレンダー。うちと仕事場にカレンダーがいっぱい。指圧の先生のご友人のお家にきたイタリア人が、日本ではどうして各部屋にカレンダーがあるのかと、不思議がっていたそうだ。日付の数字は、「犬」のほうはGill Sansだが、この「とらや」のほうはCentury Expandedを元にしている書体(いつものように、字游工房の岩井君に助けてもらう)だが、ぴったりのフォントが見つからない。この数字書体は外国のフォントベンダーのCentury Expandedと見比べると、太いところと細いところのつながりがぎこちなく下手に見える。何だろう。岩井君が『モンセン』ではないかというので『モンセン欧文書体大字典』(1980年/嶋田出版刊/B5判上製)を本棚から探した。『モンセン』のCENTURY EXPANDEDだった。清刷りを切り貼りしたのだろうか。フィルムでもっていたのかな。

 

しかし、なんで日本のデザイナーはCentury系が好きなんだろうか。和文従属のアルファベットと数字に、Centuryをベースにしたものが多かったからだろうか。退屈な数字だ。カレンダーをデザインするなら、まず数字書体を吟味してよいものを見つけたい。和文従属外国語書体の使用と誤解されるようなことは避けたい。

 

最初のCenturyは1894年に作られた書体。解説では、このカレンダーに使われている絵は、「とらや」の昭和十年(1935)に作成された、二冊のお菓子の見本帳から絵図が選ばれている。とらやのお菓子のデザインは、元禄八年(1695)以来のものがたくさんある。問い合わせたら、この見本帳のなかには古いものも入っているということだ。私ならそれらにあわせて、20世紀に近いCenturyなどより、もっと古くてエレガントなローマン体を探してみる。デザインは、そういうことが楽しいのだ。

 

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芝山幹郎さんの本をデザインした。以前に『アメリカ映画風雲録』(2008年/朝日新聞出版刊/四六判/並製)を装丁させてもらった。矢吹申彦さんに装画をお願いして、6人の監督を描いてもらうという贅沢。今回は、伊野孝行君の絵と岡澤慶秀君のレタリング。文字は双葉文庫の広告(年間のキャッチフレーズ)で使っている、古い丸ゴシックをすこし加工してもらった。横組だが揃え方はこれでよかったか、いまだに迷いがある。

 

『映画西口東口』芝山幹郎/Pヴァイン刊/2015年/並製/四六判 天地188mm×左右128mm

 

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私は芝山さんのファンである。2014年7月23日のブログで『今日も元気だ映画を見よう』(角川ssc新書)を紹介した。芝山さんには「芸術新潮」2004年8月号のスペイン特集取材で、マドリッドで初めてお会いした。私がマドリッドに着いた晩、夕食をご一緒した。芝山さん私とは別の取材班で、編集者と共に先にスペイン入りされておられて、バールで二人と待ち合わせた。詩人で映画評論家、翻訳家。大リーグにとても詳しい。ワインもよくご存知で、そのときPrioratを教えてもらった。その号では、芝山さんはサッカーの取材とヴィクトル・エリセのインタビューだった。それ以来のおつきあいである。索引を入れて544頁のこの分厚い本を読んでいると、家にあるDVDをもう一度見たくなってしまい、棚から探しだすのだ。

 

「週刊文春」1月14日号で小林信彦さんがこの本について書いている。

 

「ぼくもクリントの映画では「ミリオンダラー・ベイビー」が圧倒的だと思うが、マギー(ヒラリー・スワンク)が次々に相手を倒してゆく部分を、氏はクリントが〈幼いころから親しんできたワーナー映画の活劇的なリズムに乗って〉と形容する。こういう形容は、キャグニーのワーナー映画などをずっと見てきた人でなければ使えないものだ。」「ラジオやらテレビやらで、映画についてお喋りをしている若い人は存在するが、〈一九七〇年代の東映アクション映画でお馴染みの展開〉として、天津敏、内田朝雄、名和宏、遠藤太津朗らの悪役、中島ゆたか、志穂美悦子、池玲子が得意としたおねえちゃん、とあっさり語れる(または書ける)人がここに存在しているのだ。」「語るのにむずかしい「ラスト・サムライ」の異文化体験の描き方も、見事に処理されている。」

 

芝山さんの『ラスト・サムライ』の冒頭を引用する。タイトルは「距離の魔法」。

 

〈「距離の魔法」は存在する。近くにいては見えないものが、遠く離れれば見えてくる。ためしに、スタジアムの座席位置を考えてみよう。野球でもサッカーでも、フィールドレベルの座席は意外に見づらい。臨場感こそあれ、全体の構図がよく見えず、微妙に有機的な連携プレーを見落とすこともあるからだ。それにひきかえ、アッパーレベルの客席は、ゲームの幾何学を読み取りやすいし、オフ・ザ・ボールの渋い動きも視野に収められる。これはロングショットの映像が意外な細部を描き出す事情と似ている。〉

 

芝山さんの文章は小気味よい。そして、書き出しがかっこいい。最初の一文につられてどんどん頁をめくって、読み終われなくなってしまう。

 

〈仰天した。笑った。度肝を抜かれた。血が騒いだ。元気になった。〉「快楽原則と想像力の圧勝」/『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』

〈私はキム・サンフン(ヤン・イクチュン)の顔を知っている。どこで、どんなときに会ったのかは覚えていないが、見たことだけはたしかだ。あの顔は、一度見たらおいそれと忘れられない。〉「忘れられないシーバルロマ」/『息もできない』

〈リチャード・ニクソンは複雑だぞ。私がそう思いはじめたのはいつからだろうか。〉「知性を裏切る自滅の傾斜」/『フロスト×ニクソン』

〈プロレスの基本は信頼だ、とアントニオ猪木がいっている。正しい、と私は思う。〉「フェイクの陰の優雅なハート」/『レスラー』

〈十年は短い。9・11はまだあまりにも生々しい。〉「少年も監督も歯を食いしばる」/『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』

 

そうだ、この本のにはタイトル索引以外に、芭蕉や蕪村の全句集のように冒頭の書き出しでひける索引があってもよいかもしれない。そして、冒頭だけでなく文章の最後もたまらない。最初に引用した『ラスト・サムライ』はこうしめくくられている。

 

〈それにしても「距離の魔法」はよく働く。大味で、陰影が足りなくて、これは欠点を指摘しやすい映画かもしれないが、ズウィックは、遠くの美しい風景を凝視しつづけるように、愚直な視線を崩さない。だからこそ『ラスト・サムライ』は心の琴線に触れる。とめどなく卑劣になりつつある現代日本人の品性に向かって「ちがうだろう、きみたち」と一石を投じてもくれる。これは監督も意図しなかったことだろうが、遠方からの援軍は、なぜかいつも心強い。〉

 

知り合いに芝山さんのファンが多いが、私みたいにこの「芝山節」がたまらないのかもしれない。

 

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前回紹介した、タムラフキコさんのカレンダーは、横浜のテラコーヒー白楽本店のもの。売り物ではなく、お店でコーヒー豆を買うと先着でもらえるみたい。私はタムラさんから毎年いただいている。大阪の「レトロ印刷」である。毎年ちがうテーマを決めてタムラさんが絵を描いている。今年は、横浜、東京、京都にある老舗の喫茶店。これまでのは、「産地のコーヒー農園の人々」「珈琲がでてくる映画」「コーヒー発祥の地(といわれる)エチオピアの人々」「木から珈琲ができる課程」「コーヒーにまつわる器具など」「海外のカフェ」「海外から送られてくるときのコーヒー豆の麻袋」など。このカレンダーの欠点は、各月に年号が入っていないこと。

 

「タムラさんの絵は上手で好きだけど、どうして人物だけはいつも頭でっかちで三等身になるのかな」なんていう知り合いがいる。そういえばそうだ。今度彼女に訊いてみよう。

 

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ひさしぶりに十貫坂教会のお説教の看板。

「あなたがわたしを見捨てても、わたしはあなたを見捨てない」

さて、これをあの五人たちにあてはめるとどういうことになるだろうか。

このタイトルは、騒動のことに関連したお題なのかもしれないと思ってしまった。

 

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今日は二曲、件の五人に贈る。

 

One Step Beyond/Madness  Most Of Us Are Sad/Eagles