北上次郎、今週の本棚、マッチ、タイポグラフィ的なもの

〈北上次郎〉
「週刊文春」の3月5日号の表紙絵はレモン。渋い色調のなかに鮮やかな黄色。ずっと毎週買ってたけど忘れている。記憶にない和田さんの絵の多いこと。
この号の〈文春図書館〉の「著者は語る」で、北上次郎さんの最新エッセイ『息子たちよ』についてのインタビュー。
〈苦労の末、内定を貰うも「まさか製薬会社で働くとは思ってもいなかったなあ」と呟く次男〉について、『息子たちよ』で「それでいいのだ(略)自分の気に入った服を探すのもいいけれど、いま着ている服を好きになること、そして自由に着こなすことも大切なのではないか。父はそう考えているのである。」と書き、インタビューの最後に「僕も会社を何度も変わったし、夢破れうつむく友人を多く見てきました。人生思い通りにならないことの方がずっと多い。たまたま好きなことが出来ていたら丸儲けです。それより、現在の“ダメな”自分を肯定しつつ理想を仰ぎ見る方が、余程楽しいと思うんです」と語っている。

 

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〈今週の本棚/毎日新聞〉
書評欄「今週の本棚」のために、日曜日だけ毎日新聞を配達してもらっている。2月9日は、頁の構成が巧みな選択で編集されている。いつもは、これほどテーマが頁ごとにそろうことはない。全体は3頁。

 

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最初の頁。
『政権交代が必要なのは、総理が嫌いだからじゃない』(田中信一郎著/現代書館刊/評=藻谷浩介)『死を招くファッション 服飾とテクノロジーの危険な関係』(アリソン・マシューズ・デーヴィッド著/安部恵子訳/科学同人刊/評=内田麻理香)
コラム「この3冊」は「山内マリコ・選 フェミニズム」(南伸坊さんの挿絵。以前は和田誠さん)

 

〈「各人が自己利益の最大化を目指す結果として、経済全体が拡大することも、一定の条件が揃えばありうる」と説いたのはアダム・スミスだった。それに対し、「一定の条件が揃えればありうる」を取っ払い、「自己利益=部分最適の追求は、常に全体最適をもたらす」という短絡的な教義にして掲げたのが、新自由主義である。この21世紀型の新興宗教と訣別せねば日本の将来はないということを、本書はあらゆる方面から指し示す。理性的に思考できる一部の与野党政治家の、良心に届くことを願うばかりだ。〉(『政権交代が必要なのは、総理が嫌いだからじゃない』)

 

〈色鮮やかなドレスは、ヒ素などの毒物を用いて着色されていたため、身につける者だけでなく、それを製造する労働者にも害をもたらした。〉〈エンゲルスが男性の礼装品であった帽子に、水銀が含まれていたことに気がついていなかった。男性用フェルト帽はウサギの毛が使われていたが、それを加工する際に水銀が用いられていたのだ。帽子工場の労働者たちは、重篤な水銀中毒となり、工場の周辺の土壌も汚染された。水銀の危険性は認識されていたにもかかわらず、帽子産業での水銀の使用は二〇〇年以上にわたって続いた。〉〈ファッションにおけるこの経済格差は、現代もなお続いている。世界で最も人気の布地であるデニムは「古く」見せるために、デニムの布地を擦る加工をしているが、その際に発生する粉塵が労働者の肺に害を与え、死亡者も出ている。〉(『死を招くファッション 服飾とテクノロジーの危険な関係』)

 

〈(田嶋陽子は)はっきりと自分の意見を言い、不要な笑顔を見せず、女性の正当な怒りの言葉である「啖呵」を武器に弱者救済のため闘うフェミニスト。もの言う女をメディアという男社会は喜び勇んで叩いてきたが、彼女の勇気を正しく評価しリスペクトする時代が来ているのだ。〉(「山内マリコ・選 フェミニズム」)

 

政権交代

 

死を招く

 

愛と

 

2頁目。
『音楽ってなんだろう? 知れば知るほど楽しくなる』(池辺晋一郎著/平凡社刊/評=湯川豊)
『アメリカは歌う。コンプリート版』(東理夫著/作品社刊/評=井波律子)

 

〈十九世紀後半、オーストリアにハンスリックという音楽学者が現れ、「音楽というものは音楽以外の何ものも表現しない」と、きびしい主張をした。このハンスリック美学が日本の洋楽世界に入ってきたのが明治半ば過ぎで、一つの流派をつくりあげた、という。
ところが日本では音楽といえば歌舞伎や能など、演劇的なものに結びついている。だから「日本人は音楽から音楽以外のものを感じる感性に長けている」と池辺氏はいい、いまでもハンスリック美学で演奏などを批判する人がいることに驚いている。〉(『音楽ってなんだろう? 知れば知るほど楽しくなる』)

 

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アメリカは歌う

 

3頁目。
『声で楽しむ 美しい日本の詩』(大岡信、谷川俊太郎編/岩波文庫/評=荒川洋治)
『佐新書簡 新村出宛佐佐木信綱書簡』(佐佐木幸綱監修/竹柏会心の花/佐佐木幸綱インタビュー)

 

〈詩歌と散文はどうちがうのか。吉本隆明は『詩学叙説』で、散文は意味、詩は価値に重点を置くとした。「価値」は、「意味」から切離された自由な地点で、新しい世界を見ることにつながる。大岡信は『現代詩試論』で、詩は「提示」である、と定義。読む人の「心に傷を与える詩句だけが残ってきたのだ」。詩は伝達不可能なものを浮き上がらせると。以上の見方を合わせると、目にとどきにくいもの、あわいにあるもの、消えかけたもの、でも人間の生活や精神の組成に大切なものを見落とすことのない意識をつくりあげる。それが詩歌なのだろう。〉(『声で楽しむ 美しい日本の詩』)

 

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佐新

 

〈ふたたびマッチ〉
前回わからなかった、室町砂場赤坂店のマッチの1月の絵柄は、「十六武蔵」という江戸時代から明治のころまで遊ばれた盤上ゲーム。1月の季語だとお店の女性が教えてくれた。2月はふきのとう、3月はおひなさま。

 

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〈タイポグラフィ的なもの〉

1 [柳生弦一郎さんの書き文字]
柳生弦一郎さんの絵本。77歳。元気だ。若い。手書きの文字。前回の「Find My Tokyo」のフォント化された手書き文字の味気なさ。手書き文字をフォントにする場合、手書きの度合いの強いものは向いていないのかもしれない。柳生さんの生き生きした文字とくらべてみる。

 

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せがのびる_2

 

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書体化するにはそろえなければならない。デザインだから、手書き風であっても「あ」から「ん」まで、それぞれ同じ形。自由さの高い、手書きスタイルをフォントにすると生の感じは減る。手で書いた文字は、それぞれちがうのでのびのびしている。柳生さんの絵本は、だから楽しい。
筆書体のデザインを考えると、書体をつくる本質が見える。書体作りはデザインである。デザインとして、それぞれの文字の形をまとめる。そのまとめ方にタイプデザイナーの個性がでる。どのように整理するか。そのまとめ方のアイデアや技術に納得したり、首をひねったりする。

 

2 [掲示板の毛筆手書き]
これも書き文字だ。中野区の掲示板。目立つ。ついふりかえってしまう。デザイン的ではないが、こういうものは強い。書き文字の効用。羽田到着の国際線の増便で、都内上空を通過する新飛行経路に反対している。
ついでに、メトロ窓上の国交省の新飛行経路のポスター。味気なく、おざなりで、熱が無く、わかりにくい。わかってもらおうという気がない。この新飛行経路、大いに問題をかかえているのにこんなものでお茶をにごしている。東京新聞3月5日、羽田新ルートの降下角度の記事。

 

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3 [フォント風手書き]
こっちは手書き風のフォントかと思ったら、フォントみたいなスタイルの手書き文字。手書きが流行している。安直。

 

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4 [竹内街道 横大路(大道)]
土曜日の新聞の附録。モダンなゴシックかと思ったら、はらいに抑揚がついている。モリサワの見本では〈筆書体〉に分類されている「陸隷」。
解説では〈「陸隷」は、秦の時代に生まれた隷書体を、現代にふさわしくデザイン(略)伝統の様式を基礎としながら(略)可読性の高いモダンな隷書体に〉と。「陸」についての説明はない。なんだろうか。
書体の選択は、まわりの環境とつじつまを合わせることである。雑誌やブックデザインでも、道ばたの幟でもかわりはない。この写真の幟を見てつくづくそう思う。町並みがあり、道行くひとがいる。幟のデザイナーは葛藤しただろうか。
幟の文字は、文化庁が「日本遺産」のキャンペーンに選んだ書体ではない。葛城市や文化庁のHPを検索したが使用書体の統一はなさそう。「日本遺産」のロゴだけが統一。日の丸の下にアルファベットで読みづらいJAPAN HERITAGEとある。幟の意匠は、シンボルマークにあわせてモダンなデザインにしたのか。隷書体とはいえ、ゴシックに隷書風味付けがされたようなもの。
活字体のゴシック(いわゆるサンセリフ)は成立時期からいってもモダン。デザインにモダンさを求めるなら、まずゴシック体という選択は順当。
日本遺産は平成27年度から文化庁が〈「地域の歴史的魅力や特色を通じてわが国の文化・伝統を語るストーリー」を認定する制度(竹内街道・横大路(大道)のサイトで)〉という趣旨だから、明朝体や楷書でもいいでしょう。本格的な隷書までいくと古臭いから、こんなものに落ち着いたのか。
〈歴史的な風情を感じさせる竹内街道沿いの家並み〉(写真のキャプション)に、モダンな軽自動車と観光客らしいおばさんたちが見える。電信柱の黄と黒のストライプ。電線にアンテナ、瓦屋根。奥に見える「お菓子つきお抹茶」の幟は、これもモダンな文字(モリサワの「タカポッキ」)。ネットで買える既製品。モリサワの書体で呼応しているか。
(正式HPにこの地名の読みが記されていない。簡単な漢字だから、誰もが読めると思うのは大間違い。竹内街道は、たけのうちかいどう、横大路は多分よこおおじだろうが、括弧内の大道はどうやら、おおみちでもだいどうでもなく、おおじと読むらしい。)

 

竹内街道_022220

 

お抹茶幟

 

5 [SALE]
どうでもいいことだけど、〈O〉と〈W〉は次の数字(文字)の下に潜るのに〈I〉はそのまま上に乗っている。この位置じゃ〈I〉は潜らせると変になるかも。デザインで、なにかルールをつくるとき、例外がでるときは例外の方にあわせないと変な形になることがある。決めたことにそろわないときは、アイデアを変更するのがいい。他を無理に潜らせる意味なんてない気がする。見た目がわずらわしくなる。気をつけないと、整合性のない混乱は、見るものを潜在意識下で惑わせるはず。

 

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6 [牛]
ヨコカクの岡澤慶秀さんから、前回のブログの看板についてこんな感想がきた。
「自転車バイク手荷物の字すごいですね。物の牛へん感激しました」

 

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7 [トメダイン]
いつの時代の広告か。いろいろ条件を考えて、必要なことをこめていくと、こんなレトロなデザインになるのか。あるいは意図的な古臭ささか。「トメダイン」というネーミングもそう。ワンポイントにしぼった広告。偶然とはいえ、直美ちゃんの式場探しサイトの広告とならんでいる。急な下痢と結婚式場。不幸と幸がとなりどうしに。「水なしで飲める下痢の薬トメダイン」は、ラジオのコマーシャルでよく聴く。

 

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8 [人生]
みもふたもない直球。下の3行のピンクのアンダーラインの強調。ノートじゃないんだから。

 

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9 [チョコ]
量り売りのイタリアのチョコレート。包み紙のデザインがきれい。東京駅の中のイタリアのお店。

 

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10 [窓上]
メトロの窓上広告。なんだろう、ゴシックの仮名。ばらばら。

 

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11 [切手]
切手、ハガキ、印紙を売っていたお家。京都です。

 

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12 [建売]
近所の建売り住宅。形は同じだが、よく見たら、三軒とも色が微妙にちがう。白、クリーム、薄いグレー。

 

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13 [青い床屋さん]
青いです。京都です。

 

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14 [椅子]
地下鉄都営線新宿三丁目のホームの椅子。いい味わいになっている。

 

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15 [無]
メトロの電光サイン。無の下の点が、ガレー船のオールみたい。

 

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16 [梅]
2月4日の梅。近所の高齢者農園。もう満開だった。

 

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〈お知らせ〉
新型コロナウィルスのために、前回お知らせした、嵯峨嵐山文華館で開催中の「百人一首って」京都展は3月2日から17日まで休館、21日のトークも中止になりました。

 

今日の一曲、去年亡くなったドニー・フリッツ。Troy Sealsとの共作。
We Had It All/Donnie Fritts