トランプ、ヴィヴィアン・マイヤー、結城

「TIME」最新3月14日号の表紙。トランプの大きな顔に五つのチェック枠。
左からbully(乱暴者)、showman(ショーマン)、party crasher(パーティこわし)、demagogue(煽動政治家)、最後の欄のthe 45th President of the United States(第45代合衆国大統領)はチェックなしの空欄。グラフィックなアイデアが面白い。

 

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コカ・コーラの広告。セピア調の写真。現代のシーンだが、ガラス・ボトルのコカ・コーラのクラシックなロゴの気分にあわせている。しかし、キャッチコピーの書体が味気ない。写真の雰囲気をそぐわない。その上、なぜこんなに行間をあけるのか。不思議なデザイン。JR電車内には4種類の広告があったが、二つだけ採集。TVCMでもこの書体を使っている。これを見せた若いタイポグラファーの友人の感想。「たしかに〈新ゴ〉で「味わい」と言われても、少し味気ないですね。人工甘味料で作ったカロリーゼロの方、という感じがします。」〈新ゴ〉のような書体を使う時に、どんなデザインの積極的な意味があるというのだろうか。間に合わせで使うにしても、選択肢に入れたくない書体のひとつである。デザイナーたちは書体の善し悪しを普段議論しないのだろうか。

 

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カレンダーの絵柄のテーマをどうしよう。2月は骨董市で最近みつけた瀬戸のボーンチャイナの犬たち。愛犬ガルシア君に似ていたから。エルザとガルシアみたいな犬のグッズはつい手が出る。犬たちのフィギュアや置物がけっこうあります。しばらくは、このmy dog collectionシリーズに。3月は、ドイツの木彫りのオオカミ。埼玉県立近代美術館のショップだったと思う。オオカミ君がのっているのは、仕事場の近所で拾った建材のかけら。

 

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今回のカレンダーの書体:From Cartoon Blocks Regular 2月のカレンダーの書体:Archer Ultra

 

前回、紹介したRetrospective Saul Leiterのソール・ライターのインタビューで、こんなことを語っていた。

 

Foolishness is a doorway to dreams; not always, but sometimes.
Sometimes it’s a doorway to trouble, of which we likewise had quite a bit.

 

「愚かさは夢の玄関口、いつもじゃないが、ときどきそうだ。ときどきそれはトラブルの入り口でもある、その上にけっこうたくさんある。」

 

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念願のヴィヴィアン・マイヤーの本がやっと届いた。前回書影をのせた大判の本である。ジャケットの写真が好きでずっとほしかった。この写真集を見ていると、映画でマルーフが言っていた、MoMAやTATEが断ったことを理解できないわけではないと思った。この写真集の構成の問題かもしれない。

 

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とは言え、今回は彼女の話だ。ソール・ライターとヴィヴィアン・マイヤーは、どちらも同じNYのHoward Greenberg Galleryの扱いだ。前回のソール・ライターのように、ニューヨークタイムズのウェブのアーカイブを調べてみる。もっとも古いのは2011年1月の「LENS/PHOTOGARAPHY, VIDEO, AND VISUAL JOURNALISM」欄のChicago Cultural Centerでの個展 “Finding Vivian Maier: Chicago Street Photographer” の紹介記事。彼女がジョン・マルーフに見つけられ、展覧会が開かれるまでの話だ。映画は2012年。奇しくもソール・ライターの映画と同じ年。

 

タイトルは「New Street Photography, 60 Years Old/60年を経た、新しいストリート写真」

 

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〈ヴィヴィアン・マイヤー、鋭い視線でアメリカのストリートを撮る、まぎれもなくすぐれた写真家のひとりがついに見つかった。ウェブ上に、新鮮な画像が次々に発表されると、彼女を称賛する人々が増えていき、かれらに感動を巻き起こした(正直なところ、この「Lens」欄は彼らの後塵を拝している)。Ms.マイヤーの街の写真は、そこに登場する人々をおとしめることなく、尊重し、都市に活気を与える、逆説的な一瞬とほろ苦い感覚を同時にとらえて、フレームに定着する。それらは、傷つきやすかったり、高貴だったり、打ちのめされていたり、誇り高くもあり、壊れやすく、優しいものであり、しばしばとても滑稽だったりする。ヴィヴィアン・マイヤーはすでにハリー・キャラハンのような大家と比較されるようになっている。〉

 

〈悲しいことにMs.マイヤーは、この展覧会に来られない。2年前に83歳で亡くなっている。〉

 

〈Ms.マイヤーについて知られていることといえば、1926年にニューヨークに生まれ、フランスに住んで(彼女の母がフランス人)、1951年にニューヨークに戻ってきた。五年後、シカゴに引っ越して、そこでベビーシッターを40年間つとめた。主に、裕福な世帯が多いノース・ショアの郊外住宅の家族である。休みの日には、ニューヨークやシカゴの通りを歩きまわる、いつもローライフレックスの二眼レフのカメラを携えている。実際には、彼女は自分の撮った写真を他人に見せることはなかった。その多くは彼女自身でさえ見ていない。彼女はたくさんの未現像のフィルムロールを残していったのだ。〉

 

〈eBayの常連出店者で稼ぎながら不動産業もしている29歳のジョン・マルーフは、今、現代写真の神殿にMs.マイヤーの居場所を確立しようと先頭にたつ応援団長だ。彼は、友人のアンソニー・リゾンと共に、所蔵している十万点のネガを保管し、まだそのわずか十分の一ほどをスキャンする作業の途中である。彼らは、やっと数百のモノクロフィルムと六百のカラーのロールを現像したところだ。〉

 

〈マルーフ氏が、箱にぎっしりつまった彼女のネガを、400ドルでオークションで最初に手に入れたのは2007年。それらは、貸し倉庫で使用料の支払いがないまま差し押さえられていた。彼はそれが、ダニエル・ポゴゼルスキと一緒に取りかかった、アルカディア出版の「Image of America」シリーズのための、シカゴのポーテージ公園の写真入り歴史本の資料になると考えていた。〉

 

〈ポーテージ公園の写真は一切なかった。実際、彼は何を見つけたのかさえよくわからなかった。「これらを買ったとき ‘street photograpy’ のことなんて知らなかった」と、「ヴィヴィアン・マイヤー・ブログ」に書いている。〉

 

〈結局、2009年10月9日、マルーフ氏はいつもの行動に出る。FlickerのHardcore Street Photographyを通じて、ブログ世界(blogosphere)に質問をあげる。
「こいつで僕はどうしたらいいの? ブログをチェックしてくれ。こういうタイプの仕事は展覧会とか、本にする価値はあるの? また、こういうのはよくあることなの? 何でもいいからどうしたらいいか教えてほしい。」〉

 

〈さまざまな、指導、提案、意見や助言、的確なコメントなどがあっという間に集まった。陰謀説もまた語られる。「かつがれているんじゃないの」とか「誰かが、みんなが撮った写真をあつめてきて、あたかも40年代に二眼レフを持っていた人物に扮して、ウェブで発表して全ての権利が、最近亡くなった人にあるようにする考え」など。〉

 

〈二回目の投稿でシカゴ・カルチュラル・センターとコンタクトがとれて、キュレイターがつく展覧会に結びついた。しかし、そこにいたるまでは数ヶ月かかった。〉

 

〈あきらかに、Ms.マイヤーについて専門家や美術館関係者の評価が高まるほど、マルーフ氏が大量のネガの所有者であることから得る金銭的な利益は増大する。会話の中で少年のように素直に「なんてこった(holy cow)」と繰り返すのを聞くと、たった今の彼の本当の関心は、Ms.マイヤーの作品が多くの観客を得ることなのだとわかる。〉

 

〈現在、彼は15カ月前には想像した以上のはるかに大きな波の頂上にいる。展覧会、作品集、彼が友人のリゾン氏と作っているドキュメンタリー映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して Finding Vivian Maier』。〉

 

おそらく、マルーフ君がいなければ、彼女の本やドキュメンタリーが多くの人に届くことはなかっただろう。ヴィヴィアン・マイヤーの映画を見て、NYTimesの記事を読んでいると、胸が苦しくなる。彼女はどんな気持で写真を撮っていたのだろう。いつか発表しようと考えていたのか。そんなことより、撮ること自体に喜びがあったのだろうか。彼女の写真には、同時代の有名な写真家たちの全ての要素がある。ヴィヴィアンは、ロバート・フランクやダイアン・アーバスやリー・フリードランダーたちの作品を見ていたのだろうか。ヴィヴィアンの家族について調査したアン・マークスという人のブログ「VIVIAN MAIER DEVELOPED Part 2」に、2008年に撮られた彼女の最後の姿が掲載されていた。

 

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『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』は、3月12日から18日まで、早稲田松竹で上映される。

 

このブログは、本とデザインのことを書くつもりで立ち上げたのに、最近はちゃんと本のことを書いていない。前回は、あせって紹介する本のデータをすっかり忘れる始末。その本のデータです。

 

『コーヒーの人 仕事と人生』numabooks編/2015年 フィルム・アート社刊/上製/本文サイズ:180ミリ×117ミリ

 

『A FILM ABOUT COFEE』プログラム/並製/表紙別、本文32頁/2015年 メジロ・フィルムズ刊/本文サイズ:210ミリ×136ミリ

 

『FINDING VIVIAN MAIER(邦題:ヴィヴィアン・マイヤーを探して)』プログラム/並製/表紙込み16頁/2015年 アルバトロス・フィルム刊/本文サイズ:A5判 210ミリ×148ミリ

 

SAUL LEITER/2008年 STEIDL刊/上製/本文サイズ:A5判 239ミリ×200ミリ(2008年1月、パリのFondation Henri Cartier-Bressonでの展覧会のカタログ)

 

SAUL LEITER/PHOTOFILE/2009年 Thames & Hudson刊/並製/本文サイズ:190ミリ×124ミリ(PHOTOFILEシリーズは、フランスのPhoto Pocheシリーズの英語版)

 

Retrospective Saul Leiter/2012年 Haus der Photographie刊/上製/函入り/本文サイズ:263ミリ×220ミリ(奥付に「このほとんど変更のない新装版は、ソウル・ライターの2013年11月26日の死の悲しみを機に刊行された」とある)

 

Vivian Maier A Photographer Found John Maloof/2014年 Harpwe Design(Harper Collins)刊(これは2015年の第三版)上製/本文サイズ:316ミリ×261ミリ

 

結城市へ行った。結城には、蕪村が住んでいた弘経寺(ぐぎょうじ)がある。6月22日(水)から7月2日(土)に、人形町ヴィジョンズ・ギャラリーで開かれる、丸山誠司さんと山下以登さんが絵を描く「蕪村と一茶」展のための取材旅行。ツアーはこれで三回目。一回目は昨年の8月末に、ミホ・ミュージアムの「若冲と蕪村」展、京都の蕪村旧居と金福寺の芭蕉庵に蕪村の墓、生誕の地大阪の毛馬。二回目は11月に、黒姫の一茶記念館と旧居、長野善光寺を訪ねた。メンバーは、二人以外に、11月に同じくヴィジョンズで「万太郎と龍之介」展の絵を描く、大高郁子さんと漆原冬児さん。その他イラストレーターの仲間と私である。結城は紬で有名な街。東日本大震災でここにも被害があり、約2000戸の屋根の瓦がずり落ちたと、結城の酒蔵武勇の方から聞いた。

 

〈蕪村が27歳のとき、師匠・宋阿が亡くなり、夜半亭一門の俳諧結社は消滅してしまいます。俳諧で身を立てようとしていた蕪村は、やむをえず下総・結城にくだることになります。〉〈織物が盛んだった結城や下館には、砂岡雁宕(いさおかがんとう)を始めとする師匠の門人たちが数人住んでいたので、彼らを頼っていったのです。〉〈寛保4年(1744)には、雁宕の女婿・佐藤露鳩(ろきゅう)の依頼で、宇都宮で新春の句を集めた歳旦帖を出しています。わずか17ページの小冊子とはいえ、これは蕪村が編集した最初の俳書であり、ここで彼は俳諧で身をたてる第一歩を踏み出したわけです。「蕪村」という俳号が初めて使われたのも、このときです。〉〈結城・下館を足がかりにして、関東各地を旅しています。芭蕉の奥の細道の跡をたどって、秋田、青森、松島などをまわったりもしました。(略)旅と絵画に明け暮れた結城・下館生活を終えて、蕪村は京都へ行くことになります。蕪村36歳のときでした。〉(『蕪村 放浪する「文人」』とんぼの本/新潮社/2009年刊より)

 

結城で撮った写真。
この大きな空間に何があったのか。震災でディスプレイが壊れたのか。

 

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結城のワンちゃん

 

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標識を巻き込んだ木。右はイラストレーターの大高郁子さん。

 

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不思議な玄関

 

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四角く刈った植木が多かった。

 

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結城は倉が多かった。このレタリング。

 

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そろばん塾の看板。塀は老舗酒蔵のもの。モダニズムなデザイン。

 

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十貫坂教会の説教シリーズ。3月11日の東日本大震災の5年目に向けてだろうか。
「思い出して下さい!」

 

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2月が29日までしかないのに土壇場で気づいて、遅れてしまった。すみません。今月は三回が目標。次は15日頃にタイガーブックスが見つけてくれた、古い「暮しの手帖」について書くつもり。

 

今日の一曲。
That Lady/The Isley Brothers