花森安治 その2

私のデザインで伊野孝行君が絵を描いた本が、二つ目の賞をもらった。『市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像』佐々木実著・講談社刊。昨年8月に新潮社ドキュメント賞、そして、今年の4月に大宅壮一ノンフィクション賞。竹中平蔵と小泉純一郎が「構造改革」のもとに、われわれの社会に何をしたのかを見事に描いた本である。多くのひとに読んでいただきたい。

 

ƒvƒŠƒ“ƒg

 

長い付き合いの伊野君だけど、彼の作品集以外の単行本でジャケットの絵を描いてもらったのは初めて。といってもこの本では、竹中と小泉、ブッシュのシルエット。伊野君の実力を見せるにはちょっと物足りないが、こんな絵だからこそ彼がたよりになる。

 

この本の前に、あるエッセイ集で伊野君と一緒に仕事をする機会があった。著者本人の希望で、彼がポートレートを描いた。ところが、とてもよい出来にもかかわらず、著者がこの絵は自分に対して悪意があるといってボツになった。その後、この本はほかの出版社から出されることになった。とどのつまり、編集者、デザイナー、絵描きはクビ。似顔絵やポートレートは、よく似ているほど本人が気を悪くすることがあるというお話。

 

さて、花森安治のつづき。今回の三冊のデザインはすてきだが、ふしぎなところがある本ばかり。少し長くなりました。

 

南陀楼綾繁さんが『KAWADE夢ムック 文藝別冊 花森安治 美しい「暮し」の創始者』(河出書房新社刊・A5判・2011)の中の対談〈「花森安治の装釘」談義」〉で「いま、唐澤さん(対談相手の唐澤平吉)と私で花森安治の装釘本を紹介する本をつくろうとしています」と語っている。先日、本人に会ったら、来年には出せるという。対談の冒頭は「ぼくは十年ほど前から花森安治が装釘した本を集めはじめました。」である。楽しみです。

 

h01補正キリヌキ

 

この河出のムックには、カラーの口絵で20冊ほどの花森安治のブックデザインが紹介されている。対談本文にも、モノクロだがいくつか書影が掲載してある。

 

残念ながら『花森安治のデザイン』(暮しの手帖社刊・A4変型・2011)では、単行本のデザインは暮しの手帖社から出たもの以外はない。しかも少ない。このタイトルだったら、花森のもっと広範囲な仕事が見られる気がするのに。ジャケットの下のほうに、小さく細い明朝体で〈『暮しの手帖』創刊から30年間の手仕事〉と副題がついていた。

 

h02補正キリヌキ

 

『本棚の前の椅子』

 

本棚の前の椅子_01

 

四六判上製、角背。ただし本文頁の左右は131ミリ(天地は188ミリ)ある。花布はベージュ色、スピンは絵の色に合わせて濃い茶色。驚くべきことはジャケットの表(表1)に著者名がないことだ。著者は英文学者の福原麟太郎。パステルで描いた椅子の絵の座に、タイトルが細い明朝体風の描き文字で入っている。表4は、おなじ椅子に引っかいた線画で模様と、座の部分に果物。椅子はほぼシルエットで抽象画のようだ。人間みたいな形でやわらかく親しみがわく。バックは表1が水色、表4は黄色で美しい対比だ。

 

著者名は背のみにしかなく上部、背の書名は下部におろして社名に接するほど。社名は縦に三行。表紙も同じくタイトルは下で著者名はなし。デザインの共通性はない。茶色一色。文字はおなじ描き文字。

 

h03補正キリヌキ

 

別丁扉は2色。著者名とタイトルが四号活字で入っている。バックは赤茶色でケルト風のイルミネーションの写本のぼやけた一葉だが、そのクレジットがみあたらない。目次の次、本扉(三号活字で書名のみ)の前に〈装幀 花森安治〉。

 

h04補正

 

この本は1959年、48年に「美しい暮しの手帖」創刊。第2号から季刊、53年に「暮しの手帖」に変更、57年第38号では50万部をこえる。花森はいつ頃まで他社の装幀をしていたのだろうか。恥ずかしながら、私は前回に紹介した『編集者の発言』のデザインに出会うまでは、花森安治の装幀に強い興味を持つことはなかった。暮しの手帖社の単行本は、若いときから知っていたがそれらの影響は受けていないと思う。どれも良い出来のもので嫌いではないのだが、自分がデザインするものとは別の流れという意識だったのだろうか。これはいったいどうしてだろう。

 

『チロル案内』

 

imageキリヌキ

 

函入り。上製、角背。花布は紺、スピンはなし。本文はB6だが、天地が3ミリ短い。函と表紙は同じデザイン。ジャケットはなし。表紙はうすいビニールのカバー付き。オーストリアのチロル地方の地図の上に、〈TIROL〉のアルファベットを木を削って、白くペイントしたものがのっている。山小屋の看板風か。欧文文字が大きくて目立つ。和文タイトルはブルーのラベルに中に白抜き。このデザインの組み合わせはモダンで気持ちがよい。手間のかかった仕事だ。

 

h06補正キリヌキ

地図と〈TIROL〉の文字は、最初、別撮りして合成かと思ったが、よく見ると地図のピントがすこしあまい。文字と地図は一緒に撮影しているのだろう。だが、影の長さと形と濃度がおかしい。あとでレタッチしたにちがいない。〈R〉のデザインが面白い。

 

表1の和文タイトルは写植で、44Q平体3ぐらいの扁平に変型がかかっている。この頃は平体をかけた文字が多かった。その流行が花森にも影響したのか。〈チロル〉のカタカナはアンチック体、漢字は石井特太明朝体、社名は石井中ゴシック体、20Q平体3。

 

背はブルー地で〈TIROL〉のアルファベットがメインで大きく、書体はフーツラボールド。次に黒い四角が入っている。四角は『本棚の前の椅子』の背にもあるから、背に四角のパターンをいれるのは花森安治のモダンスタイルか。和文のメインタイトルは、これも位置が下。32Q平体2ぐらいの扁平。書体は表1と同じ。一番下に社名2行、石井中明朝体で20Q平体2。表1と背で変型の度合いが違うのなぜだろう。次の『貝のうた』もそうだが、このあたりは理屈じゃなく感覚なのか。

 

目次4頁目の下に〈装本 花森安治〉のクレジット。

 

『貝のうた』

 

h07キリヌキ

 

h08キリヌキ

 

丸背。本文サイズはB6。花布はブルー、スピンは紺色。タイトルとジャケットの地にあしらった文字(貝の唄というタイトルが大きく地模様になっている)は築地初号。この初号をもとにした写研の民友社の仮名の発表は81年だから、それではない。これは活字の拡大か、それを修正して使っているのか。

 

活字拡大にしてはエッジがなめらかだ。清刷りの状態がいくらよくても、アウトラインがこれほどきれいではない。拡大すればにじみや、エッジのノイズがでるはず。〈の〉の右の終筆部の外側にすこしたどたどしさがあるのと、その先の処理がスムースではない。

 

小宮山博史さんに見てもらうと、漢字の〈貝〉の右のウロコは、築地初号の特徴そのまま。推測だが、初号活字の清刷りをもとにレタリングの上手なひとに輪郭を修正させたのではないか。本人が描くことはないだろう。私が一年ほどいたデザイン事務所では、レタリングの上手なひとがいた。彼は新聞広告の活字拡大でまにあわない文字を描いていた。70年代以前なら、活字体の文字が上手なデザイナーや職人は珍しくない。

 

タイトルの書体に手間をかけたのは、当時の写植には、築地初号ほどしっかりした見出し明朝体がなかったからだろう。しかし、このタイトルと著者名の書体の組み合わせは、よく見るとかなり違和感がある。それに、二行が頭揃えでもなく、下に揃うのでもなく、名前のほうがすこしタイトルの下より中途半端にあがっていて、結果、上があいているのが気になる。

 

これが最初の謎だが、次はこれ。この本は、デザインはまことに上品できれいなのだが、文字がばらばら。

 

1
〈タイトル〉 表1のタイトルは先に述べた築地初号活字のおこし。背は写植で石井特太明朝体、平体2。

 

2
〈著者名と社名〉 表1の著者名は写植の石井特太明朝体、平体2。背は写植で石井中明朝体で、なんと扁平ではなく長体2だ。。社名は石井中明朝体で平体2。表4の社名も石井中明朝体で平体2。

 

ジャケット、表紙ともに3色。特色2色は浅黄系のブルーと明るい茶色、それにスミ。ジャケットと表紙では、地模様にした大きな文字のあつかいを逆転させてある。

 

見返しは色紙ではなく、ジャケットに使った同じ明るい茶色を刷ってある。見返しの次に本文用紙とおなじ遊び紙があって、つぎに活字のタイトルと、著者名、社名の入った扉。見開き目次左頁下に〈装釘 花森安治〉のクレジット。

 

三冊とも本文は活版。

 

今日の一曲はこれです。Buttercup/Lucinda Williams