松尾芭蕉、奥の細道、『靴底の減り方』、『ねこはいに』、正木香子さん、カレンダー

9月24日から27日まで東北に行った。松尾芭蕉の本のために、奥の細道の一部をたどる。松島から出雲崎まで。iPhoneで撮る奥の細道。まず塩竈から松島へ。芭蕉と曾良は、5月9日(6月25日)の朝、塩竈明神に参詣。〈早朝塩がまの明神に詣。〉お昼には船で松島に渡る。〈日既午にちかし。船をかりて松嶋にわたる。其間二里余、雄嶋の磯につく。〉まずは、仙石線で仙台から本塩釜まで。

 

今回は初日24日の写真。東京発9時08分こまちで、10時40分仙台に。11時7分の東塩釜行き、11時36分本塩釜に到着。

 

車内の手作りのマナーポスター。乗客はそんなにマナー悪くない。

 

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芭蕉船出の地。

 

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その前にある名菓志おがまの老舗丹六園

 

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塩竈は昔から和歌に登場する。伊勢物語にも出てくる。駅から塩竃神社までの舗道脇に、ゆかりの和歌を記す石がたくさん置かれている。和泉式部、業平、紫式部。

 

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ここまで津波がきた

 

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椅子屋さんの看板

 

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塩竃神社の二〇二段の石段

 

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芭蕉が松島の月とともに見たかった塩竈桜

 

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奥の細道に書かれている燈籠。〈神前に古き宝灯有。かねの戸びらの面に、文治三年和泉三郎寄進と有。五百年来の俤、今日の前にうかびて、そぞろに珍し。渠は勇義忠孝の士也。佳名今に至りてしたはずといふ事なし。誠人能道を勤、義を守るべし。名もまた是にしがふと云り。〉。和泉三郎忠衡は藤原秀衡の三男、兄康衡に抗して義経への義を貫き討たれた。

 

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塩竈駅とマグロのポスト、時間表。

 

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芭蕉の奥の細道行の最大の目的は松島という。〈松嶋の月先心にかかりて、住める方は人に譲り〉松島はその名のとおり岩の島の上に松の木が茂っている。不思議な島々。松島では遊覧船で島巡り。芭蕉と曾良が船で着いた雄島には寄れず、五大堂と瑞巌寺を見物。

 

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松島海岸駅と駅前の看板

 

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瑞巌寺境内にある伊達政宗が朝鮮から持ち帰った梅の老木

 

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瑞巌寺参道脇、岩山に穿たれた洞窟群の道に、芭蕉の奥の細道の松嶋の文が彫られた碑がある。これは芭蕉の文字だろうか。瑞巌寺参道の杉の老木は津波で塩害でほとんど伐採。やっと再生工事がはじまった。

 

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次の日、立石寺まで行き、山寺芭蕉記念館で芭蕉の真筆を見ることができた。撮影禁止だったけれど、2009年「芭蕉 〈奥の細道〉からの贈りもの」展(出光美術館)のカタログに、ここの所蔵のものが載っている。〈「ちりうせぬ松や二木も三月ごし」句文懐紙〉石川九楊さんが『日本書史』で松尾芭蕉の書をとりあげている。

 

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〈行成の書が空海に発しているから、行成を学んだ芭蕉も大師流道統であると言ってしまえば、日本のすべての書が空海に象徴される三筆から発しているのだから、すべてが大師流道統ということになる。また、大師流は、空海の書の異様なところを拡張して、流儀として固定し、一種異様な別の書体(スタイル)と化した書であるから、この文だけでは芭蕉に大師流の姿(かげ)を見ることの証明にはなっていない。とはいえ、芭蕉の書に、本阿弥光悦や烏丸光広にもつながる大師流の影響が認められることは確実である。〉

 

〈芭蕉の「鹿島紀行」の記録、「かしまの記巻」は、均整のとれた穏やかな筆触で丹念に書かれており、その書からは古朴な厚みのある滋味が漂う。そこには、当時周囲にあふれていたであろう御家流風の書きぶりは、ごくわずかしか確認できない。御家流を脱けていることの中に、芭蕉が、当時の知識人一般の意識を抜ききっていたことをうかがわせるに十分だ。〉

 

〈西行が平安時代の古典上代様思慕の人であったと同様に、江戸時代の松尾芭蕉もまた、他の俳人と異なり、三蹟・上代様の平安古典古代思慕の人であった。その事実が、その書を通じて彷彿とする。実に、西行は平安末・鎌倉初頭の芭蕉であり、芭蕉は江戸時代前期の西行であった。〉石川九楊『日本書史』

 

『靴底の減りかた』鬼海弘雄/筑摩書房/四六判/角背/上製/2016年

 

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上品でよい装丁だが、私には理解できないことがある。ピンクの花布とピンクのスピン(しおり)。鬼海さんの風貌と作品からは思いつかない色。おもしろいけれど。広い帯でタイトルの銀の箔押し。銀の箔押しと広い帯はこの装丁家のマイブームみたい。知り合いのイラストレーターから「この広い帯でカバー、表1・4の写真の下が隠れているけど、いいんですか」と訊かれる。うーん。よく見るとカバーでは箔押しはない。こちらは一見すべてスミ文字。というかタイトルは特色グレー(写真のダブルトーンに使ったグレー)+スミのアミ点、名前と社名はスミベタに見えるが、グレーにタイトルより濃いスミのアミ点をのせている。タイトルと著者名の色が微妙に違う。帯では、名前と著者名、表4の文言がスミベタ。表1と背の文言と著者欧文名が、特色ベージュ+スミアミ。表4の文言の一部〈(中略)と〔「あとがき」より〕〉がベージュとスミアミの組合わせ。彼はいまだに欧文の著者名を使う。背の文字デザインと他の部分の違い(背のみ著者名が上で書名が下)、表紙デザインとカバーデザインの関連の無さ。扉も唐突な感じの意匠で、これまた表紙ともカバーとも異なる。カバー、帯、表紙、扉ともにデザインの水準は高い。禁欲的に見えて過剰。帯の文言〈フォト&エッセイ集〉は〈写真とエッセイ〉じゃ、だめなのかな。

 

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風景の写真が別紙で刷られている。おもったより点数がある。それに惹かれて買う。
鬼海さんの文章は不思議だ。読みだすのに少しだけ勇気がいる。読みはじめるとひきこまれてしまう。独白と観察。カメラのレンズで見つめるような文章。いいところでシャッターが切られている。

 

〈「ひと」しか写さない写真家が、そんな道を歩くことは無駄だと思われるかもしれないが、すこし事情がちがう。遮るもののない荒野の道では、たまにやって来るひととは、ずいぶん前から互いの姿を目にしながら近づいていく。すれ違うころには、なんとなく自然な親しみをおぼえはじめている。まったく言葉もわからないので、軽く首や手を振るだけの挨拶なのだが、ふしぎとひとに会っているという実感が湧く。相手も異郷のカメラマンと思うよりも、たまたま会ったひとが、カメラを持っているという思いのほうが強いらしく、レンズというかたい目玉を向けても、回教徒の女性さえ実に自然に振る舞ってくれる。サラマ・レークン。〉ずっと冬の旅をつづけている、トルコのクルドの村での話。
〈この茹だるような暑さのなか、たかだか三十年ほど前まで、小柄なベトナム人たちが古タイヤで造ったホー・
チ・ミン・サンダルを履き、撃って灼けた砲身を抱えてはジャングルや地下トンネルの迷路を駆けめぐり、物量で襲ってくるアメリカ軍と戦っていたとは、想像しただけでめまいがした。
互いに殺し合いをさせるほど確信にみちたあのそれぞれの「正義」は、今はどうなったんだろう。「正義」はどこへ、かたちをかえて現れているのだろうか。いつの時代も人間は戦争が好きなふしぎな生きものだ。道理にどんかんになる「訓練」。〉家族でベトナム旅行に出かけた話。
〈高級機を錆びつかせたインドの旅は、当時はやっていたヒッピーを真似たアホで未熟な旅だったが、ひとつだけ大事なことを教えてくれた。旅を通して、カメラマンとして最低限の生活費を稼ぐことさえ途方もないことだと解ったことだ。ましてや雑誌などに向けて毎回課題をさがして売り込みを続けることなど、とてもかなわないことだと気付かされた。写真を真剣に続けようとするならば、定めた課題を淡々と追い続けていく道しかないだろうと思った。無論、それでは世に身を立てることなど覚束ないことは分かり切ったことだった。それでも諦めなかったのは、自分の能力に懐疑的であったのに、あえて表現の世界に向かうためには仕方がないことだと思っていたからだ。
むしろ「カネを稼げない」ことこそが、自分のできる仕事の拠りどころになるのだろうと居直った。今でも劣等感の酸にはたえずさいなまれているが、当時はもっとのっぴきならなかったに違いない。〉

 

『ねこはいに』南伸坊/青林工藝舎/A5判/並製/2016年

 

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『ねこはい』の二冊目だ。猫の絵と猫の俳句。美しくて、可愛くて、楽しい。「ねこはい」はまったくフィクションである。まえがきで南さんはこう書いている。〈「ねこはい」をもう一冊だしてもいいといわれたのでまた猫になって書きました〉。小学生のとき、四国の坂出の浜の俳句をつくったら、母に「あんた坂出の浜なんか見たことないやんか」と言われてしまい俳句心をくじかれた。俳句は文学なのだから、見たものだけでなくてよいのだ。芭蕉さんだって、実際に見たことばかりじゃない。本文もカバーも書体は南さんのお気に入り、モリサワ武蔵野。

 

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明日の10月15日「タイポグラフィセミナー」シリーズ5『小宮山博史との対話 その2』のゲストは正木香子さん。正木さんは写植大好きな人。どんな話になるか楽しみ。当日でも入場大丈夫です。

 

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10月のカレンダー。もう14日だけど。シャツのラベル。飼っていたうちのガルシア君にそっくり。調べるとこの子はジャック・ラッセル・テリア。そういえば足がガルシア君より短い。白と茶色の柄が同じ。

 

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今日の一曲
L.A. Freeway/Guy Clark