詩、中川五郎、春一番、Christoph Niemann、ソウルの詩集
〈詩/荒川洋治〉
「ユリイカ」4月号の、第22回中原中也賞の荒川洋治さんの選評。受賞作は『長崎まで』野崎有以(思潮社/2016年刊)
〈一つ一つの詩では何をしてもよい。もっといえば適当に書いてあってもいい。ゆるくても甘くてもいい。どのようにあってもいいのだ。最後に、ひとつ詩が残るかどうか。全体をつらぬく、一筋のものがあるか。それを基準に詩をみることが大切だ。(略)一見、たしかに生活作文のような流れではあるが、ところどころに、ここ、というところで、いいフレーズがあり、胸に迫る。さほど人生経験をもたない人にも芽生える強い郷愁、人間的であろうとする願いが、みごとに表現されている。
ことばの組織は、詩ではない。際立つような意匠も飛躍もない。だが、詩はどんなことばで書かれるかではない。詩で詩を書く必要はないのだ。一冊を読みおえたときに、詩があるかどうか。それで価値が決まる。『長崎まで』には、詩がある。一筋の詩を感じる。詩を書く人の才能を感じる。〉
〈中川五郎〉
1月に中川五郎さんのライブ・アルバム『どうぞ裸になってください』が完成した。このブログですぐに紹介するつもりだったが、おそくなってしまった。
久しぶりのCDのデザイン。このアルバムのプロデューサーの沢知恵さんからの依頼。彼女自身の『わたしが一番きれいだったとき』(2005年)のデザインを気に入ってくれて、いつかまた頼みたいとずっと思っていたのだと。そのとき彼女に私を推薦してくれたのは、S出版社のMさんだ。それから12年後。
中川五郎さんには若いときに会っている。まさか、彼のCDをデザインするとは想像もしなかった。知り合う前、彼が高校生のときに作った歌を、同じ高校生(ぶらぶらしていて、学校には行ってなかったが)だった私はラジオで聴いている。彼が歌っていたと思いこんでいたが、調べてみたら作詞=中川五郎、作曲=高石友也。私には「受験生ブルース」は中川五郎の歌だった。70年代の前半、「春一番コンサート」を手伝っていた頃、主催者の福岡風太君に紹介してもらったのが最初。五郎さんのアパートで会った記憶がある。この頃、福岡君に連れられて様々なミュージシャンに会っている。
去年の7月25日、下北沢ラ・カーニャでこのアルバムの中川五郎さんのライブ・レコーディングを聴いた。80年代後半から東京に住みだしてから、中川さんとはごくたまに下北沢で会うことがあった。彼の歌をこの前に聴いたのはいつだっただろう。ひさしぶりだ。バンジョーを弾きながら歌っている。さまざまな詩を取り上げる。とても自由だ。トーキングブルース・スタイルの歌は、このひとぐらいかもしれない。音楽を聴いて心が解放されていく。これほど素晴らしいことはない。
このCDのデザインは、無理矢理なアイデアをひねり出すこともなく、沢さんの希望にあわせながら自然にこの形になった。五郎さんの素晴らしいライブで自分が感じたことを素直に出せた気がする。表側の絵は中川さんのパートナーの油彩画。文字は入れない。タイトルは村山槐多の詩。彼が槐多のこの詩に曲をつけて歌っている。自筆の詩の画像を所蔵先の三重県立美術館から提供してもらう。裏側にその詩の原画を使う。ケースの内側は、当日お店に入口に貼ってあった五郎さんの手描きのポスターと熱演の写真。歌詞のブックレットとクレジットの折り込みを別にする。歌詞は行長や行数がさまざまなので、縦組と横組の混在にする。五郎さんとはつきあいの長い岡本尚文さんの写真がすばらしい。
チラシを作った。歌詞以外のCDに使った画像や要素をすべて再構成する。
沢さんにお願いしてポスターも作った。ポスターは裏表印刷でちがうデザインをした。好きな方を貼ってもらったり、2枚ならべてもよい。これは初めての試み。
〈春一番2017〉
春一番のポスターができあがった。森英二郎さんの絵は去年とはちがってみっちり描きこまれている(彫りこまれているというべきか)。西岡恭蔵の「春一番」の冒頭の歌詞が描かれている。絵に文字がはいるのは森さんの棟方志功への憧憬。今年もコンサートをすこしのぞかせてもらうつもり。5月5日は大病にめげずに頑張っている西宮の友人に会う。6日に沢さん、中川五郎さん、佐藤良成さんの「どうぞ裸にトリオ」を見るつもり。
乾いた街に 風が吹きはじめた
冷たい通りを抜けて
君の窓まで
いつまでもまつ事はない
まぼろし達をおいはらえ
春一番がつくるのは
それは君の春の祭
〈Christoph Niemann〉
Christoph Niemannの四冊の本。本棚の整理をしていたら、2012年の彼の本 “ABSTRACT CITY” がでてきた。これは彼がNewYorkTimesのvisual blogで発表したものをまとめたものだ。このブログが面白くて彼のファンになった。その本を拾い読みをしていたら、最後の絵入りのあとがき(Afterword)で、彼の自分の仕事のやり方を披露している。最初に、チャック・クロースを引用がある。
“I always thought that inspiration is for amateurs—the rest of us just show up and get to work.”
—Chuck Close
〈インスピレーショというのはアマチュアのためのものだ。そうじゃない僕らは、ここにきてただ仕事をするだけだ。〉
「I LEGO N.Y.」Christoph Niemann/2010/ABRAMS IMAGE/頁サイズ:138ミリ×177ミリ(天地×左右)
NewYorkTimesのvisual blogで彼の仕事を最初に見たシリーズ。レゴをひとつもしくは、最小限の数ピースで何かにたとえる。笑える。
「ABSTRACT CITY」Christoph Niemann/2012/ABRAMS/頁サイズ:221ミリ×158ミリ
これは、彼のNewYorkTimesのvisual blogの総集編。
「SUNDAY SKETCHING」Christoph Niemann/2016/ABRAMS/頁サイズ:269ミリ×208ミリ/小口がブルーに塗ってある。表紙のインクにあわせたのか。
この本はこんな文章から始まる。彼が生まれたという〈ドイツ南西部の街〉はシュトゥットガルトの近くのヴァイブリンゲン。
〈努力すれば才能の無さを補えると思っていた。しかし、それだけではすまない核心があることに徐々に気がつきだした。〉
〈細かいことにこだわっているうちに、仕事と生活のより大きな側面を無視してた。水泳をしているときに、ストロークやターンに神経を使っている間に、水やはねる波で周りが見えなくなるように。〉
〈しばらくして、私は自分の頭の中をのぞいてみて何だと思った。
わあああー!
私はどこにいるんだ。〉
〈私はどこから来たんだ。
どこへ行こうとしているんだ。〉
〈私はドイツの南西部で生まれて勉強した。〉
〈学位を取った後、ここにはいられないと思った。
なんであれここを去ろう。〉
〈それでニューヨークへ行った〉
そして、彼はその街に恋をして、仕事をし、素敵な奥さんと出会い、子どもが出来る。
その後、〈安楽な場所からぬけて〉ベルリンに住むことを決断する。
〈ニューヨークではプロフェッショナルになることを学んだ。そして徐々に自分を緩めなければと感じだした。ベルリンはアイデアを可能にするのにそんなに心配しなくてすむ。ここに移ることは美術学校に戻るようなものだ。〉
こうして彼の作品のシリーズやスケッチが紹介されていく。彼の絵の特徴は絵ではないものと自分の絵の組み合わせ。あるいは、絵ではないものそれ自体を絵にする。そのコンビネーションや思いつきから生じるユーモア。彼の絵を見ているとニヤニヤしてしまう。「SUNDAY SKETCHING(日曜日のスケッチ)」という書名は、そうした彼の自由な絵に対する態度をあらわしているのだろう。
「One Minute till Bedtime/60-SECOND POEMS TO SEND YOU OFF TO SLEEP」Kenn Nesbitt & Christoph Niemann/2016/Little, Brown and Company/頁サイズ:253ミリ×204ミリ
タイトルの『おやすみまでの1分/眠りにつくための60秒の詩集』のとおり、子供のための短い詩のアンソロジー。Christoph Niemannがそれぞれの詩に絵をつけている。
〈ソウルの詩集〉
ソウルのレポート三回目。前々回のブログ、谷口ジローさんの『孤独のグルメ』があったKYOBO書店で見つけた本。日本の文庫より少し小さな本(タテ135ミリ×ヨコ100ミリ/日本の文庫は大体、タテ148ミリ~150ミリ×ヨコ105ミリ)、二冊は『白石 詩集』『金素月 詩集』、一冊はコナン・ドイルの『緋色の研究』。
共紙で見返しを一枚作っている。2月のソウルのタイポグラフィセミナーで、ハングルの文字間のつめ過ぎを指摘した発表があったが、この本の本文はまさにその典型例。よく詰まっている。感心するのはバーコードの小さいこと。うらやましい。日本の書籍のバーコードは世界一大きい。
私はレジで袋がほしかったので入れてもらったが、前の親子は紙の帯で三冊まとめてもらっていた。エコだ。普段は書店では本の書店カバーも袋もことわる。鞄か用意しているレジ袋に入れる。KYOBO書店で買った三冊の本の地の小口部分に日付印とマークがある。レジでつけたのだろうか。万引き防止か?
KYOBO書店の袋。何が書いてあるんだろう。素朴な感じがする。
金素月と白石の詩は『朝鮮詩集』(金素雲・訳編/岩波文庫/1954年刊・2010年12刷)に載っている。
「わすれねばこそ」 金素月
わすれねばこそ こゝろもくるふ、
ならば一生(ひとよ)をたゞ生きなされ
生きりゃ 忘れる日もござる。
わすれねばこそ おもひはつのる、
ならば月日を たゞ経(ふ)りなされ
たまにや想はぬ日もござる。
したが はてさて こればつかりは、
——しんじつ恋しいこゝろのひとを
束の間ぢやとて どうわすれよう。
この詩は、沢知恵さんが曲をつけて唄っている。訳者の金素雲さんは彼女のお祖父さん。『ライブ・アット・ラ・カーニャ 秋/沢知恵』2010年
方南通りにある栄町公園。よほどゴミが多いのか、この看板。
路上の文のまぼろしである。
中野駅前の電柱でカラスが巣作り。もう子供がいるのか。途中で雄が手伝いにやってきた。
今日の一曲 Woodstock/Joni Mitchel