Family first、週刊文春、サンペ、立ち食いそば、こんな絵を描いた、徳富蘆花

毎度、おなじみ「TIME」。2017年6月12日号。スローガンの「アメリカ ファースト」ならぬ「ファミリー ファースト」とは気が利いたタイトル。日本の安倍ならさしずめ「お友達 ファースト」か。彼はいつになったら国民に目がいくのか。みずからが国民の代弁者であり、委員会や国会で彼に質問をする野党議員もまた国民を代表していることが理解できているなら、安倍も菅も見え透いた愚かな言辞を弄することもあるまいに。

 

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こちらは「週刊文春」二題。一目ではよくわからない。きっとあれだと思った。アルハンブラの天井の穴からの光。私の撮った写真を探す。こんな表紙ができる週刊誌はえらい。

 

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もうひとつもスペイン。最初は教会の屋根のガーゴイルかと思った。「瞑想にふける牛」。〈スペイン第二の都市バルセロナの、海岸へと抜けるランブラス大通りで和田誠さんが見つけた銅像。そうロダンの「考える人」のパロディ(表紙の言葉)〉だそうな。なるほど。

 

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『SEMPE IN NEW YORK ジャン゠ジャック・サンペ ニューヨーカー イラスト集』ジャン゠ジャック・サンペ 宮田智子訳/DU BOOKS/2014年
こんな本が出ているなんて知らなかった。サンペさんの大ファンなのに情けない。フランス語版の原書は2009年刊。サイズは31.5cm×23.2cm。A4より一回り大判。サンペさんの作品集は判が大きい。日本版はA5判。その分、値段がやすい。日本では大きな本は無理かな。しかし、「イラスト集」はないだろう。作品集にしないと。本文のインタビューでもイラストとしか書かれていない。イラストと呼ばず、イラストレーションと言ってほしい。まさか、原書で「イラスト」なんていうはずがない。訳者と編集者の見識を疑う。
この本はサンペが描いた「ニューヨーカー」の表紙絵集。サンペさんの絵は、人物が小さい。〈ニューヨークは、建物が密集していなくて、広々としているんです。パリより空気がきれいですし、そもそも港町でしょう。全然、押し潰されそうな感じはありません。超高層ビルに囲まれると自分の小ささを感じるだけです。フランスで、野原にいて、天気がよくて、雲があまりなくて、遠くがよく見えて、そんなときと同じ感じです。そういうとき、自分って小さいんだなぁと思うでしょう? 人は、どれほど自分が小さいかわかっていない。そのことにいつも驚きます。私たちは本当に小さい。〉とインタビューで語っている。
サンペさんの「ニューヨーカー」の表紙を見ると、猫の絵がけっこうある。音楽家の絵も多い。子供もよく登場する。ひとりぼっちのおじさんがさまざまな場所にいる。

 

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〈平松洋子〉
「本の雑誌」平松洋子さんの立食い蕎麦ルポは、「そばですよ」という連載タイトルだったのだ。シリーズの題名が小さすぎて気がつかなかった。私は立ち食いそばや駅そばに興味がなくて、読んでいなかった。この連載のなかで、今年の3月号から5月号まで連続して山口良二との立ち食いそばの対談をしている。これが面白い。それで、初回からバックナンバーを読む。読み出すとやめられない。平松さんが紹介する立ち食いそば屋をめぐりたくなる。2015年6月号の新連載の書き出しはこうだ。
〈ズズッと啜った一杯に香る一瞬の人情味を知ってから、立ち食いそばに惹かれるようになった。気づくのが遅過ぎたかもしれないけれど、これも自分なり出合い方なのだと思うと、回り道したぶん立ち食いそばを大切にしたくなるのだった。〉
「本の雑誌」本年3月号から5月号にかけての、平松さんと山口さんの話からすこし。会話のところを「私」と「山口さん」にしている。「さん」づけがいいな。
一回目は「蕎麦ですよ 第22回 今日もやっぱりちくわ天。山口良一さんと、池袋と(上)」
〈好きな立食いそば屋を三軒、挙げていただいた。その筆頭が、池袋の住人として長く親しんでいる「君塚」。池袋西口の五叉路の角で三十年以上、地元で愛され続けている店である。〉
〈山口さん よく行くときは週一、奥さんが実家に帰ってるときは週三ってこともありました。やっぱり近いってことが大きいですね。家と駅の途中にあって、帰り道に「ちょっと小腹空いてるかな。でも」って微妙な感覚のときに前を通ると、おつゆの匂いがする。それを嗅ぐと、つい「じゃあ食って行くか」。「君塚」は入口が二か所あるのもズルいんです。迷っても次の入口がある(笑)。〉
〈山口さん 「君塚」さんには本当に失礼なんだけど、すごくいいものを食った感動があるわけでもなく、それでもまた行くんですよね。あの界隈で働いている方とか、毎日通っているお客さんは多いと思うんですが、だからこそ際立った味じゃないほうがいいんです。〉
三回目は、「まずさも発見だ。山口良一さんと立ち食いそば(下)」
〈池袋の住人だけあって、池袋西口「君塚」、鴬谷「かくや」、池袋東口「あずみ」。そのうち、「かくや」「あずみ」の二軒には共通点がある。どちらも麺が硬い。〉
〈山口さん その店のひとが最初から仕込んでるんですものね。出来不出来もあるんだろうな。長く通っているお客さんは、「今日のはちょっとしょっぱいんじゃないか」とか。安定のチェーン店、ちょっと冒険する個人の店。〉
〈山口さん 知らない町や初めて行く土地で個人の店があったら、入りますね。最近は駅のなかにも立ち食いそば店があるけれど、それは保険として取っておく。いや、まずくてもいいんですよ。まずかったら「まずかったなー」でいい。
私 立ち向かわない。
山口さん そもそも冒険してるから、まずいのも新しい発見になってるわけですよ。〉
〈山口さん 店を出たら、すぐにネットに書き込む。「ゲロマズの店」とか書いちゃったり。笑っちゃえばいいのにね。まずいとなったら、今はヒステリックに怒っちゃう。良くても悪くても、「やられたな」っていうのがあればいいんだよね。〉
〈私 まずさも味のうち(笑。
山口さん 人に言いたくなるくらいまずい店って、珍しいですよ。普通のひとでも、飲み屋で「こないだえらい目に遭っちゃってね」って話は面白いですもんね。〉
〈山口さん そうそう。いいネタいただきました、と。立食いそばは「しょせん」ってところがちょうどいいんです。お店のひとはそれなりに味のことを考えてらっしゃるでしょうけど、食べる側としては、「おいしいものを食いに行くぞ」と構えていない。とりあえず何か食いたいなっていうスタンスだから。〉

 

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〈こんな絵を描いた〉
人形町ヴィジョンズ・ギャラリーで2014年から2016年11月まで、毎年二回のペースで開催したIllustrators’ Gallery(全6回)の展覧会から、自作自選ベスト+新作展「こんな絵を描いた」が開かれます。6月14日(火)6月24日(土)まで。
2年間の展示で描いた絵のなかから、作家本人たちが作品1点を選び、同じテーマで新作1点を描く。これまでの展示テーマと期間と絵を描いたひとたちです。
(1)『一葉と芙美子』展 霜田あゆ美、くぼあやこ/2014年6月18日~28日 (2)『子規と荷風』展 浜野史子、森英二郎/2015年6月17日~27日 (3)『わたしと街の物語 1 神保町とロンドン』 伊野孝行、大河原健太/2015年9月23日~10月3日 (4)『わたしと街の物語 2 名古屋と光が丘』 丹下京子、小田佑二/2015年11月18日~28日 (5)『蕪村と一茶』展 丸山誠司、山下以登/2016年6月15日~25日 (6)『万太郎と龍之介』展 大高郁子、漆原冬児/2016年11月19日~26日

 

14日にはオープニングパーティがあります。6月17日(土)16時からは、伊野孝行君の司会で、作家たちが集まってトークをします。パーティ、トークともに、ぜひおいでください

 

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〈徳富蘆花『日本から日本へ』〉
少し前にこのブログで紹介した出久根達郎さんの『本と暮らせば』(草思社)に書かれていた徳富蘆花の本。ちょっと長いけれど引用する。
〈大正十年三月八日初版の『日本から日本へ 東の巻』(金尾文淵堂)は、翌日に二版となり、以後、四月二日まで連日版を重ねている。そのあとは五日ごとに重版し、六月六日で第三十九版である。
『日本から日本へ 西の巻』は、東の巻と同年同日に発行された。こちらは三月十七日まで毎日重版、次は二十日、二十四日、三十日とまちまちになった。そして六月六日、第三十版だった。正続篇の本は、続の方が売行きが落ちる。金尾文淵堂は正直に表示しているような気がする。毎日増刷なんて考えられぬ、と疑う者は、一刷(または一版)が五百、千の数と信じているからである。十冊、あるいは一冊かもしれないではないか。一版が一冊なら、連日重版したっておかしくない。
ただし、盧花の場合は実際に売れたのである。明治三十三年発行の『不如帰』は初版に千部だが、年内に八版を重ねた。再版以降、一版が一千部である。昭和二年九月までに百九十版を数え、累計五十万部を超えた。
次の『自然と人生」も初版二千部だったが、昭和三年五月までに三百七十三版、これまた五十万部を突破している。「重版表示戦略」は、あるいは盧花の発案かもしれない。
盧花はその文学より、出版史からの研究が必要な作家と考えている。印刷や造本も研究すべきだろう。先の『日本から日本へ』は、わが国の作家では珍しく活字が横組で(英語が多用されている正に違いない)、「何故 もっと 咲いていない と 梅を 責めやうか?」と読点の無い文章(入るところもある)、そしてフランス装の妙な(?)本である。〉

 

『日本から日本へ 東の巻』『日本から日本へ 西の巻』徳富蘆花/金尾文淵堂/大正10年(1921年)/ページサイズ=天地200ミリ×左右125ミリ
黄色い箱に入った、紫の布張り上製、角背、天金、小口アンカットの本。表紙タイトル(背も)は、金箔押し。外見はそれほどデザイン的ではないが、本文組版が面白い。本文は横組で行間がひろい。秀英舎の六号。徳富健次郎(盧花)、愛の夫婦の世界旅行の「東の巻」「西の巻」の二冊本。本文には口絵写真がところどころある。
〈“戦争が終へたら‚ 世界を一巡して来やうではないか。旅費は如何かなりさうなもの。”
こんな談が私ども夫妻の間に生まれた。大正七年二月十一日の紀元節, “新春” を書いて居る時であつた。〉
で始まる。
「東の巻」は横浜からエルサレムまで。「西の巻」はイタリアからパリ、スイス、北米合衆国をまわって日本に。〈自動車は, 新嘉坡郊外サラングンの日本人墓地にとまった。十年以前, 露西亜の帰途, 印度洋で死んで、此処で荼毘に附された二葉亭氏の遺跡を弔はん為に、私共は今来たのである。〉
〈“ずいぶん二葉亭さんの墓でもあるかと尋ねてお出のお方もありますが、何しろ御承知の通り火葬して遺骨は悉皆日本に持って帰られた次第ですから, 此処には何もありませんので。”
何かあるだろう, と思ふて来た私は, 失望した。
“では, 其火葬場でも見たいもので。”〉
〈私は此爐でまさしく二葉亭の軀(むくろ)を焼いたものと思ふたが、爐はまだ比較的新しく, 先には穴を掘つてもつと無造作に焼いたものだと云ふ。然し火葬場は以前から此処なので, 十年前の五月, 二葉亭のいたはしく瘠せさらぼうた體や, 惜しい頭脳を焼いた其煙も, 此処に立ち上がったのだ。〉(「第三 新嘉坡(シンガポール)」の「其二 二葉亭の火葬跡」)

 

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横組なので、括弧はクォートに、読点はカンマ、句点はなぜか丸になっている。各章の頭はドロップ・キャップでインデントは4字分、段落先頭は2字アキ。ゴシックと組み合わせる仮名はいわゆるアンチック体の太い明朝。まだゴシックの仮名はなかったのか。

 

今日の一曲は
Long As I Can See The Lighit/Creedence Clearwater Revival