竹内みか、朝井まかて、白髪一雄、和田誠

〈竹内みか〉

描き癖にまかせた、個人的なファンタジーや身の回りの小物の退屈な絵や、スタイルだけの浅薄な風景や人物のスケッチではなく、はっきりと自覚して自分が描きたいものに焦点を絞っている。それに合う表現手段と技術がある。彼女が描くのは遊園地にある「メロディペット」。さまざまな模索のあとにこのモチーフに出会った。大切なのは「どう描くか」ではなく「何を描くか」である。

去年、HBギャラリーの「ファイルコンペ」に応募したが、大賞をとったという連絡があるまで、そのことは全く忘れていた。神戸生まれの神戸育ち、阪神淡路大震災のときは小学一年生だった。

HBギャラリー「ファイルコンペ日下潤一賞/竹内みか個展『センチメンタルパーク』7月28日(金)から8月2日(水)まで

 

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兎になった私と竹内さん。オープニングで。

 

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竹内さんとのツーショット。オープニングで。

 

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〈朝井まかて〉

朝井まかてさんの初めての短編集の新刊『福袋』の書評。「文芸時評・エンタメ」逢坂剛(7月28日/朝日新聞)

〈朝井まかては、デビューが遅かったにもかかわらず、そのおかげでというべきか、最初から完成度の高い作家だった。関西人でありながら、好んで取り上げる江戸の人情小説に、独特の趣がある。『福袋』はその好例で、(略)中でも、式亭三馬の『浮世風呂』を意識した、「晴れ湯」がおもしろい。江戸銭湯の雰囲気を、これほど生きいきと描いた小説は、近ごろ珍しい。今どきの、若い読者にも共感できるよう、工夫を凝らした会話と語り口で、三馬の世界を再現している。〉

この本のブックデザインをした。カバーの絵を描いた白浜美千代さんには、浮世絵にあるような江戸の人物が横にずらりとそろって立っている図柄をお願いした。ずいぶん苦心されたが、見事に彼女らしい絵に仕上がっている。本文の扉には「小説現代」の連載の絵が使われている。

『福袋』朝井まかて/講談社/2017年刊/四六判・上製

 

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普段はあまり小説を読まないが、まず『阿蘭陀西鶴』から。構成が巧みで、井原西鶴の娘を通じて、ものを書く人、表現をする人の心情が緻密に描かれる。少女から思春期をむかえる、彼女の視点で話が進むのが独特で、この小説の香りを他のものとは違えている。親子のつながりの深い情がある。父は井原西鶴、松尾芭蕉や近松門左衛門も登場する。芭蕉と同時代の西鶴は、もとは俳諧師で一昼夜で数千、万の句を読む矢数俳諧の話も出る。〈父は夏の盛りの六月五日から六日にかけて、住吉社の神前で大矢数俳諧を興行した。江戸の宝井其角を後見に迎え、世を徹して達した句は二万三千五百句だった。〉小説を読む喜びを久しぶりに味わう。

〈読む者はな、それを己に重ね合わせて胸を躍らせたり悔しがったりできる(略)物語というのは自分の好きな時に好きなように読んで、百人おったら百通りの世之介が生まれるわけや。〉

〈人間て、そんな簡単なものやない。人は結局、我が身が可愛い、生きてるだけで醜さをさらすもんやないか。〉

〈誰かが誰かのために食べるものを用意している音は温かい。〉

〈人は皆、刻々と変わる。だから息をしていける。〉

〈俳諧も物語もしょせん、嘘の作りごとに過ぎへん。けど何もかもが偽物かと言えば、それも違う。巧みな嘘の中にこそ、真実(まこと)があるのや。〉

 

阿蘭陀西鶴

 

〈白髪一雄〉

村上知彦君、裕子さん夫妻と西宮北口でお昼をしながらの雑談できいた話。京阪電車枚方駅に飾られていた、具体美術の雄、白髪一雄さんの絵の盗難事件。時価5000万円。1993年に駅の高架工事が完成した記念に施行業者が寄贈した絵が、2015年10月に盗まれた。盗んだ男、買い取って海外に転売しようとした会社役員の女性らが捕まった。記事を読むと、絵が飾られていたのがなんと自動販売機の横のロッカーの隣で、作品の存在を知らないひともいたようだ。もっと目立ついい場所においていればこんなことにならなかった。白髪さんの作品の価値の理解が少々足りないのかな。

 

新聞記事20170722白髪作品new

 

〈京都の買いもの 1 靴袋〉

京都の御池通に面したランドセル専門店で見つけた、靴入れ。年甲斐も考えず、黄色の丸の留め金など、色の組み合わせが少々派手だが、眼鏡(老眼鏡とサングラス、二つのケースが軽く入る)や本、財布をいれるのにちょうどよいと思った。上の輪に手提げを通して口を締められるデザインがありがたい。小学生らしく名前の札が内側にある。内側はオレンジ色。

 

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〈京都の買いもの 2 習画〉

京都の古書店で見つけた習画。日本画の絵を習うときのお手本だと店主にきいた。その手本帳をばらして一枚ずつ売っている。木版画である。これは作者が不明。習画についてネットで調べたが、皆目詳しいことがわからない。暑中見舞いに使おうかと思ったが、「かまきり」の季語は秋、「燕」は春。

 

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〈すごい本〉

池袋の大型書店で見た本。「不登校、ひきこもり」のコーナーの棚。

『ひきこもり・ニートが幸せになるたった一つの方法』

すごい。このタイトルの改行は、意図的なのか、絵に文字がかからないようにしたら、たまたまこうなってしまったのか。不思議なタイトルの入れ方は、絵にも表題にもよくあっている気がするが、私のかたい頭では信じられない文字切り。何と最後の2行は1字ずつ。ここだけなら縦組。しかもその前の行は、絵の〈手〉にかさならぬように〈つ〉と〈の〉が離されている。ある程度は絵にタイトルを重ねて、よいところで改行するのがふつうだろう。このとんでもないデザインが、こちらに苛立ちと痛みのようなものを喚起させて効果的にも見える。

 

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『ドキュメント・長期ひきこもりの現場から』

あれまあ、〈ドキュメント・〉が〈長期ひきこもりの現場から〉とカバー写真のドアをはさんで引き離されてしまっている。1行目で、「中黒」が置き去りにされているのがなんとも悲しい。

 

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『不登校とは何であったか?』

猫がこっちを見ている写真。猫と不登校との関連は一体「何であったか?」。猫に人気があるから? 猫の上に、サブタイトルとの間に斜めに入っている太い紫色のラインがある。左側のタイトルとセットになっている、ブルーとグリーンの同じ太さのラインのデザインの延長? それなら、どのラインも傾けてもいいかもしれない。ブルーとグリーンの線は傾けないでよいか? 傾けた方が不安感や動き、シャープな感じが出る気がする。ブルーとグリーンともに隣り合う文字と同じになっているが、上のラインはグリーン、下のラインは紫、猫の上はブルーにして、色彩がかたまらないようにするとよいかもしれない。いずれにせよ謎の猫だ。

 

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〈Thalia〉

前回の『Solo Monk』のタイトルに使われている書体、Thalia。最初、この書体の出自を見つけそこねて、「ポール・デイヴィスのオリジナルかな」なんて書いてしまった。すぐに、フォントデザイナーの岡澤慶秀さんから訂正のメールをいただく。彼が欧文フォントに詳しい友人にたずねて連絡してくれた。更新翌日に修正。『モンセン欧文文字大字典』(嶋田出版/1980年)にあるのを見逃していた。この書体に見覚えがあるのだから、もっとちゃんと調べればよかった。

 

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〈週刊文春の表紙〉

和田誠さんの「週刊文春」の最後の絵(2017年7月20日号)。最初の絵(1977年5月12日号)とつなげている。最初の号の鳥は地上におりている。最後の号の鳥は海の上の空を飛んでいる。どちらも三日月の出た夜。今後はしばらく、和田さん自選の過去の表紙絵がつづく。その自選1回目の2017年7月27日号、最初と最後の絵の鳥がくわえていたエアメールの封筒を選んでいる。これは、39年前の1978年の作品なのにすこしも古びていない。

 

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papers pens poetsというサイト(紙、ペン、詩)。サブタイトルは、the place for writers and other stationary addicts to share their passion for paper and pens. (物書きとその他の文房具狂と紙とペンについての情熱をわけあうための場所)。ブログで絵本を描くイラストレーターのジョン・シェリーさんにインタビューしていた。文房具マニアという二人がやっている。Jo FranklinとAnita Loughreyという作家。いろんな人に文房具についてたずねている。

 

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これでも顔に見えるかしら?

 

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路上の富士

 

路上の富士

 

路上の私

 

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今日の一曲

Rock And Roll Lullaby/The Belmonts