ワールドカップ、矢吹申彦さん

今年からイラストレーションを始めたという、37歳の女性から電話がきた。作品を見てくれというひとは多い。いわゆる〈持ち込み〉(この言葉があまり好きじゃない)。今年の5月頃までは、できるだけ見せてもらうようにつとめていたが、最近は一切ことわっている。私は絵を見るだけではなく、彼らとイラストレーションそのものについて話すことにしている。しかし、若い人にはなかなか話が通じないのだ。

 

話していたら、彼女が「朱に交われば赤くなる」という諺を知らないというのでびっくり。イラストレーターは国語ができないとね。本が好きでなかったらこの仕事は無理(それでも絵を描いている野蛮なひとが多い)。この程度の諺がわからなくては、社会人としても話にならぬ。ましてイラストレーションをの仕事をするなら、小説やエッセイ、雑誌の記事などを相手にするのだからどうするんだろう。

 

さてさて、「好事魔多し」われらが田中将大投手が右ひじの靭帯部分断裂でDL入りで、6週間のリハビリ。スプリットは肘にこたえるらしい。しかし、それは大リーグの迷信だという元投手もいる。ほんとうの原因は何なのだろうか。

 

またまたサッカーW杯のつづき。アルゼンチン対オランダ。私には退屈な試合。途中で寝ようかと思ったが、ひょっとしてスイス戦の延長後半みたいに、アルゼンチンが最後に点をいれるかと思って我慢していた。そんな奇跡は起こらなかった(ディ・マリアが欠場したから?)。しかし、ベスト4に残った世界を代表する2チームが、お互い引いて守り合うなんて信じられない。こんなに腰がひけたまま戦って勝負はつくのか。点を入れるつもりがないのなら、最初から両者で相談してPK戦にすればいい。

 

でも、日本のテレビや新聞のサッカー解説は、実況していた専門家も含めて守備の見本と賞賛している。退屈した素人の私はやはり間違っていたのか。翌日の新聞でもこの試合を否定するような意見はない。〈美辞と慰め〉ばかりで批評がない。ワールドカップはそんなにえらいのか。

 

東京新聞の奥寺康彦さんは控えめだが、ひとりだけ核心をついている。

 

〈ブラジルの大敗が両チームの選手の頭をよぎったのか、失点への恐怖心がプレーに大きな影響を及ぼしたように思えてならない。双方ともリスクを負って攻め上がることはせず、まずはしっかりと引いて守りを重視していた。〉これが正しい見方のような気がする。ワールドカップとはこんなものだといって、双方が引いたままでお互いをつぶし合って点が入らない試合を、見応えがあると弁護するサッカー解説者。視聴者が安心するような説明ばかりしてどうする。日本代表が予選リーグで敗退しても、決勝トーナメントにすすむと予想していたはず専門家を誰も責めない。本人たちも反省を口にしない。選手も咎められないしファンも怒らない。きっと日本で正論を吐くのはセルジオ越後さんだけだ。彼は新しい代表監督を決める前に、日本サッカー協会の組織をちゃんとしろと発言していた。

 

さて、オシムさんはブログでこう書いている。

 

〈オランダ対アルゼンチン戦は正直、失望した。見るべきところのない120分だった。〉〈負けたくない気持ちは分かるが、双方ともにリスクを冒さず、まるで「攻めるな」という指示が監督から出ていたかのようだった。〉〈守備的なアルゼンチン、守備的なオランダなど見たいとは思わない。両チームともにPK戦狙いならば、最初からPK戦にすればよかった。〉

 

わー、よかった。私の意見と同じだ。これは、前回紹介したオシムさんの意見が、私のサッカーに対する見方を変えてくれたからにすぎない。

 

というところで、もはやこれは旧聞。ぐだぐだ書いているうちに、ワールドカップはドイツの優勝で終わった。決勝戦の中継で、解説をしていた元日本代表監督がしきりに「こんな試合を見られて幸せだ」と叫ぶ。そんなことよりもっとちゃんとゲームの説明をしてよ。このひとは、ブラジルのW杯が始まる前に、日本代表はいいところまでいけるなんて予想して、みんなをその気にさせたのを忘れたのかな。ふたをあけたら、彼我の差はそんな甘いものじゃなかったのに。私の友達は〈魂の欠如〉と言う。私もハートが弱いと感じていた。それと足だ。とにかくドイツはよく走っていた。そして早い。今回のワールドカップのキーワードはコレクティビティー(collectivity)みたい。ドイツの進撃についてオシムさんと、誰かが「コレクティブ」という言葉を使っていた。日本のテレビではこんな気の利いたことは誰も言わない。

 

矢吹申彦さんのあたらしい本をデザインした。『東京の100横丁』(フリースタイル刊/四六判/並製)。1984年の『東京面白倶楽部』(話の特集刊)の続編になるという。なんと30年ぶり。この本は「週刊金曜日」の2008年から2011年までの連載。

 

この『東京面白倶楽部』がとてもおもしろい。これだから80年代までのデザインはあなどれない。A5判、並製。ジャケット3色。表1、背にも別丁扉にも〈散歩者のための〉と頭か横にサブタイトルがあるが、奥付と本扉は『東京面白倶楽部』だけになっている。こういう自由さ(いい意味でのノンシャランnonchalantか)は、花森安治と通じるかな。

 

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ジャケット表1下に文章が入っている。本文のデザインと共通させている。中身が外にでている。これがイントロダクションになっている。中のテキストを外に出すのは、一見、杉浦康平風のタイポグラフィックなデザインだが、このスタイルは和田誠さんの『お楽しみはこれからだ』(1975年~)のシリーズを意識しているような気もする。ジャケットの文章は写真植字(写研、小見出しが石井太ゴシック体BG-A-KS、本文が石井中明朝体MM-A-NKL)なのだが、この本で驚かされるのは本文が写植ではなく活字清刷りを使っていること。それをオフセットで印刷している。本格的な電算写植の時代の少し前だったか、矢吹さんのまわりではまだ電算は普通ではなかったのかもしれない。手動写植で本文を組むのはコストがかかりすぎるからだろう。

 

目次のデザインがよい。自分で自分の本をデザインするのだからおろそかなことはしていない。なんと小見出しの長さが揃っている。これは連載時からそうなのだろうか。だから特徴のある目次のデザインになっている。章分けに手描きの文字。目次は多分、岩田母型の9ポゴシックと明朝。本文はモトヤの8ポ明朝とゴシック。小見出しの両側の罫は金属活字のものではなくロットリングで引いたものに見える(目次のダーシは活版)。矢吹さんが自分で版下を作ったのかもしれない。A5判なので「ミュージックマガジン」の連載の版をそのまま使ったか(矢吹さんに直接電話でおたずねしてみた。ご本人はフォーマットをつくっただけで、あとは編集者と印刷所にまかせたということだ。版の流用もなく、矢吹さんは版下をつくっていない)。

 

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拾い読みしていたら、最近よくでかける人形町の「ギャラリーVision’s」の近くにある、刃物の「うぶけや」さんが載っていた。あの篆刻看板の文字は、江戸時代の四人の書家によるものだと書かれている。『東京の100横丁』は、ひたすらストリクトに横丁の地図だけだが、こちらはルポや考現学みたいな要素がある。

 

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さて、矢吹さんから届いた『東京の100横丁』のジャケットの絵は『東京面白倶楽部』と共通している。奇しくも今回も3色。これなら、タイトルもすべて30年前の本とそろえて矢吹さんの手描きにすればよかった。判型が四六判になったので、自分なりのデザインにしてしまった。うーん、なぜ『東京面白倶楽部』のことを考えなかったのか。タイトルに罫線を使って矢吹さんのスタイルを意識したんだけど。

 

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タイトルの〈100横丁〉の扱いに苦労した。アラビア数字の100のことを考えると、タイトルは横組みだが、内容を考えると横にはできない。三桁の数字を縦組みで処理するのは難しい。タイトルの書体の数字はGaramond Premier Pro Bold、漢字は游築見出し明朝体、仮名は游築初号かな。本文は秀英明朝体L。本文を二頁見開きにおさめてなおかつ、絵がちいさくならないようにするのが大変でいくつも試行錯誤を繰り返した。なにせ地図がみやすくなくては元も子もない。見開きで終わるから柱ははずす。これは『東京面白倶楽部』と同じ。

 

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今週の「週刊文春」7月24日号の〈文春図書館〉の「著者は語る」に、矢吹さんのインタビューが載っている。

 

それと、8月2日(土曜日)の15時から『東京の100横丁』刊行記念の矢吹申彦さんと坂崎重盛さんのトークショーがある(チラシの写真が若い!)。お見逃しなく。
http://www.superedition.co.jp/blog/2014/07/post-5.html#more

 

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実は、矢吹申彦さんは、私が東京で仕事をするきっかけをつくってくれた恩人のひとりである。

 

今日の一曲は矢吹さんにちなんで、ザ・バンドかな。
Whispering Pines/The Band