バークレー、並木薮、杉浦日向子さん、サックス

大阪の実家の片付けをしていたら、前回に書いた75年のロス・アンジェルスからバークレーまで、I君こと石田長生君と砂川正和君と私の三人の珍道中の写真を見つけた。往路か戻りかわからない。休憩途中の町だ。L.A.とS.F.の間は、5号線で一本道。これはモントレーあたりだったかもしれない。私のポンコツのシェヴィがオーバーヒートしないように、木陰でボンネットをあけてエンジンを冷やしている。三人並んでいるのは、左から私、砂川君、石田君。この写真は誰に撮ってもらったのだろうか。車を止めたところにいた町の人だろうか。覚えていない。私が地図をひらいて、その場所を指差している。こんな写真ではどこだかわからない。

 

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ずいぶんと久しぶりに並木薮で蕎麦を食べた。人形町ヴィジョンズ・ギャラリーでのイラストレーターのシリーズ企画展で、来年11月に久保田万太郎を描く大高郁子さんに、うちの奥さんと三人で行った。彼女から、文学座が連続して上演している久保田の芝居が、浅草の木馬亭であるのでお誘いをいただいた。2時の開演前にお昼を食べようと、正午に並木薮の前で待ち合わせ。ならばずにすんだ。しばらくすると店の前に列ができていた。

 

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並木薮のことをメールしたら、浅草在住の知り合いの編集者がこんな返事をくれた。
〈並木の藪は美味しいですが、盛りが少なくて観光客向けにぼったくりだよね~というのが地元評(笑)〉
しかし、あまりたくさん盛られていても、蕎麦がひっついてもちゃもちゃするから美味しくない。冷たいお蕎麦だって、さっさと食べないとのびてしまう。

 

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杉浦日向子さんが『もっとソバ屋で憩う きっと満足123店」(新潮文庫/杉浦日向子とソ連 編著/1999年)で、「並木薮」について書いていた。集中の最初「特撰五店」のトップがこの店だ。

 

〈やや色黒の細麺の量は、食事とするにはいかにも軽い。どこよりも辛いもり汁と、甘く薫りたつ箸さばきの良い麺は、長年つれそったヴィンテージの呼気を発散し、全身をつつむ。樽酒の木の香とあいまって、黄昏のひとときを、このうえなく和ます。腹を満たすのではない。時を満たすのである。
並木には、江戸前ソバ屋に求められるものはすべて揃っている。だが、それ以上のものはなにもない。特別洗練されているわけではない。人をびっくりさせるものもない。名代の老舗としては、むしろ、拍子抜けするくらい、ふだんの空気が床と天井の間をスローモーションでゆったりと対流する。〉

 

同じ文章の冒頭で杉浦さんは浅草についてこのように書いている。

 

〈浅草という街は、急ぎ足で見て歩くと、とても薄っぺらで安っぽい町だ。が、のんびり散策してみると、とてつもなく分厚く豪勢な町だとわかる。この町には、ハレとケ、聖と俗、ピンとキリが、ウチワの裏表のように、ぴったりあわさって、路地の奥まで、風を送り込んでいる。〉
〈だまって十年かよえば、浅草が自分の休日になる。つまり、休日に浅草にいくのではなくて、浅草にいくことが自分の休日になるのである。〉

 

オリバー・サックスが8月31日、82歳で亡くなった。今年の2月に、目の病気の黒色腫が肝臓に転移して、がんの終末期だとNYTimesに自らのエッセイで書いていた。

 

オリバー・サックスの本のデザインをしたことがある。南伸坊さんに、ジャケットに静物画を描いてほしいと無理をお願いして、植物の絵をいただいた。南さんには、林光さんの『歌の学校』(晶文社/1993)も頼んでいる。

 

『サックス・コレクション 妻を帽子とまちがえた男』(晶文社/四六判/1992年1月)
『サックス・コレクション レナードの朝』(晶文社/四六判/1993年7月)
『サックス・コレクション 左足をとりもどすまで』(晶文社/四六判/1994年12月)
『サックス・コレクション 手話の世界へ』(晶文社/四六判/1996年2月)

 

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「五輪エンブレム」の話は変だ。コンペで選ばれたものに、類似のロゴがあった。先行して似ている作品が見つかったら、他のものを選べばよい。この時点で、佐野の一等は取り消されるべきだろう。これが第一の間違い。
出だしを間違えば、カオスが待っている。これは悲劇の常道。
審査員たちを無視して、組織委員会と佐野で二度にわたって修正をしたこと(永井一正の話)。これが、第二の間違い。こんなことをやってしまうと、コンペティションは、デザインを選んだのではなくデザイナーの選定だったことになる。それはない。
第三は、記者会見で佐野がことの一部始終を正直に話せば、こんなことにはならない。
コンペで一等になった最初の作品を、修正案と共に彼自身が見せるべきである。(組織委員会の指示で直した)修正案の作り方を、あたかも自分のオリジナリティを主張するかのように語る。佐野は、記者の質問にこたえて、一等になった自分のデザインを「ブラッシュアップ」したと言う。「ブラッシュアップ」とは「まったくちがうものに修正」することなのか。
悪いことはできないものだ。そんなことをしても、リエージュの劇場のロゴに似てしまった。それで大騒ぎ。
ひどい話だ。審査員たちが毅然としていればこんなことは防げる。組織委員会にこけにされても文句ひとついわない。組織委員会はデザインコンペの意味がわかっていない。この人たちは、一体「だれのため」に仕事をしているのだろう。新国立競技場も、これも、情けないことになるのは、役所が日常的におこなう「住民無視」の「公共事業」の悪弊にしたがって進めているからだ。みっともない。役人は目先のことしか考えない。理想がない。オリンピックが「だれのため」なのか考えることがない。利権の構造でみんな走っている。代理店絡みの生臭い話が週刊誌に載っている。結局そんなことなのか。

 

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(朝日新聞9月2日朝刊より)

 

ラジオでおすぎが、あのエンブレムについて語っていた。「デザイナーって、決ってアルファベットを使おうとするから、イメージが狭くて似たものになるのよ。アジアなのだから、なぜ漢字をモチーフにしないの。東をデザインしていたら、オリジナリティのあるものができたんじゃないの」。その通り。

 

小熊英二さんが8月30日のデモについて、東京新聞の31日の第一面で発言している。

 

〈これほど多くの人が集まり声を上げたのは、日本社会の変化を示している。〉
〈二十年前と比べて最も風景が変わっていないのは政治の中枢がある大手町や渋谷だ。そこの住人が一番、社会の変化がわかっていない。〉
〈まだ変化を感知できていないメディアと政党は、自分たちが「裸の王様」の状態にあることを知るべきだ。〉

 

大阪の電車で見かけた、別府の広告。しかし、なんでお尻にキャッチフレーズの文字を入れるかな。下品で無神経。それが目的か。部長への手紙が左のお尻にある。有休とって別府に来て「もっと美しく もっと輝く その日まで」なんて大丈夫? 窓上の広告は先生宛、「卒業後は幸せな家庭をつくることより 仕事に夢中になってつづけてきました」これもいいの? なんだかとても古いなー。

 

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友人のデザイナーの向井裕一君が、二年前からこつこつとつくっている畑。八ヶ岳の原野を耕している。ひとりで井戸小屋を作り、納屋を建て、つぎは母屋だ。

 

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大豆

 

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トウモロコシの花

 

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落花生の花

 

「ku+2」が出ました。一年ぶりです。にもかかわらず好調。特集は「正岡子規ネオ」。表紙裏が怪しい。表紙撮影は、「芸術新潮」専属カメラマンの筒口直弘君。私が好きな写真家のひとり。

 

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その筒口君からこんな写真が届いた。
この両国公会堂のことはきいていた。なんとか残せなかったのか。これも「公共事業」の愚行。壊したあとの建物を設計するのが、新国立競技場に異議申し立てをしてがんばられた槙文彦さんとは悲しい。東京には、ヨーロッパの都市のように旧市街がない。だが、旧建築がある。それが街に残されていれば、パッチワークでもよい景色が保存される。

 

〈話題の刀剣博物館が、初台 おんぼろ建物から、 両国へ引っ越す予定と知りました。計画をみたら、「両国公会堂」(築90年、関東大震災の後建てられ、東京大空襲を生き残った)を取り壊してそこに新築する(槙文彦設計)とのこと。先日外観のみ みてきました。
池に面した方はいいのですが、入口のファサードが昭和40年代ころの改築で無惨なことになっていて文化財としての価値が低下し、取り壊しになったのだろうなと推察しました。
古い建物がひとつでもあると、時間旅行が出来て楽しいのだけどな~ 残念。〉

 

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あわてて、8月27日に両国の安田庭園の中にある両国公会堂を見に行った。もう足場が組まれて取り壊し工事が始まっていた。外観を残して中を博物館に仕立てなおそうというアイデアはなかったのか。味気ないガラスと鉄の建物になってしまう。歴史の教育は文字で残すだけではない。実物がのこされていなければ話にならない。地方では道路のために貴重な古代の古墳がいくつもつぶされている。役人はいつも目先のことしか考えない。

 

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本の雑誌8月号と9月号、10月号。ブログが遅れているうちに、3号もたまってしまった。連載している。8月号はモリサワの太ゴB101、9月号はA1明朝について、10月号は文庫の帯について書いた。

 

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ヴィジョンズのIllustrators’Galleryの予告。
次の二回は「わたしと街の物語」がテーマ。9月は伊野孝行君の「神保町」と大河原健太君の「ロンドン」。第一回は、たまたま霜田あゆ美さんに樋口一葉を描かないかと提案していたときに、このシリーズの企画の依頼が「阿佐ヶ谷美術専門学校」からあった。
それで、一回目は「一葉と芙美子」。林芙美子については、関川夏央さんの『女流』と川本三郎さんの『林芙美子の昭和』の装丁をしたので、芙美子をみんなに知ってほしいと思ったからだ。二回目の「子規と荷風」。これも関川さんの『子規、最後の八年』と川本さんの『荷風と東京』からの影響だ。

 

今度の「わたしと街の物語」のきっかけは、伊野孝行君が自身のブログに、彼が神保町で長年アルバイトをしていたこと書いていたのを読んだから。霜田さんと同様に、彼にも神保町の絵で展覧会をしないかと提案したが、なかなか首をたてにふらない。神保町だから神保町でやりたい。人形町じゃいやだ。もっともな話だが、神田で展覧会をするには時間がかかる。なんとか彼を説得して「わたしと街の物語」というテーマを思いついた。

 

27日(日)のトークショーは関川夏央さんと大竹昭子さん。街のお話をしていただきます。みなさん、おいでください。

 

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久しぶりに十貫坂教会。
「見せかけを超える真実」。佐野や新国立競技場にあてはまる言葉か。真実が見せかけをうわまわるのか。なんだろう。世の中のみせかけを神があばいてくれるのか。

 

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今日の写真

新人の猫君。右の耳が欠けている。いつもマンションの塀でひなたぼっこしていた、ぶちの猫がいなくなって半年以上たつ。新旧の二匹。

 

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今日の一曲は
Sorry Seems To Be The Hardest Word/Ray Charles & Elton John