〈選挙のポスタ―〉

 

いつものことだけど、選挙のポスターが情けない。いったいこの寒々しいポスターは何なのか。若い女の子とおじさんのタレントがこっち見ている。みっともないから、少しカットしておく。選挙のポスターの役目とは何か。そんなことは一切考えない選挙管理委員会の無能。やる気がない。候補者のポスターの掲示板の上に、投票日と期日前投票のこと、投票行動を積極的に促すキャッチを大きくいれたらいいのに。派手にやっても悪いことはない。選挙を盛り上げずに地味にやることが、嘘と偏見にまみれた政権与党の助けになる。国民みんながこぞって投票に行くことが、選挙管理委員会の最も大切な使命ではないのか。

 

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〈トミ・ウンゲラーの玩具〉

 

仕事場の本を片付けていたら、今年の2月9日に87歳で亡くなった、トミ・ウンゲラーが生れ故郷のストラスブール市に寄贈した6000点のブリキの玩具(Jouets Mécanique Métalliquesとあるので動く仕掛けのあるメタル玩具)のカタログがでてきた。「芸術新潮」2009年8月号の「特集 トミ・ウンゲラーのおかしな世界」の取材をした編集者M君からおみやげにいただいた本だ。誌面でも一部紹介されている。2007年にストラスブール市にトミ・ウンゲラー美術館ができるまえから、この玩具コレクションは装飾美術館(Musée des Arts Décoratifs)で展示されている。

 

The Tomi Ungerer Museum – International illustration center(サイトからの写真)

 

The Tomi Ungerer Museum

 

Musée des Arts Décoratifs Strasbourg(サイトからの写真)

 

Musée des Arts Décoratifs

 

玩具について〈ウンゲラーがおもちゃのどこに惹かれるのかといえば、メカニズムだという。仕組みを観察し、理解することでインスピレーションが湧く。そのせいか、蒐集品の多くを、ゼンマイじかけや手作業で彩色されたブリキのおもちゃが占める。ぎくしゃくとしたその動き、ひとつひとつ異なる表情、そして時とともに古びてゆく姿が生き物のようで、想像力をかきたてられるという。(「芸術新潮」2009年8月号)〉

 

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(同号から)ウンゲラーが故郷のアルザスについて語っている。〈わたしはアルザス人です。(略)1931年11月28日にフランスのストラスブールにうまれたわたしは、しかし、自分のことを「フランス人」だとは思っていません。なによりもまず「アルザス人」であり、そして「ヨーロッパ人」、それがトミ・ウンゲラーなのです。

 

フランスとドイツの国境地帯に位置するせいで、アルザスの人間は長いあいだとても苦しんできました。アルザスはフランスのものだとフランス人はいうけれど、政治的帰属はともかく、この地方の文化基盤はどちらかというばドイツ的ですから、ドイツ人もまたアルザスの所有を主張するわけです。ふたつの国のあいだで戦争が起こるたび、いとも簡単に国籍を変えられてきたのがわたしたちアルザス人でした。〉

 

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「芸術新潮」のこの号は、77頁であるが見事な構成でウンゲラーについて日本語で知ることのできる貴重な読物になっている。

 

今日の一曲

What’s So Funny ‘Bout Peace‚ Love and Understanding/Nick Lowe

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同い年の橋本治さんが逝ってしまい、そのことを書こうと思いつつブログをさぼっていたら、先週、昔の友人が亡くなった。私より1歳下の寅年。もう20年以上会っていない。いつも心の中によく切れるナイフを潜ませているような奴だった。実際にナイフをポケットに忍ばせているのを見たことがある。彼がそれを使うことはなかっただろう。とても頭がよかったのに、彼がさわるものは最後には壊してしまう。話がおもしろく、機転がきいてひとに好かれた。いろんなところに顔を出して、気に入られてはさまざまなことを手伝っていた。本当はなにをやりたかったのか、今はもう訊くことができない。いまさら訊いてみたところで一笑にふされるだけかもしれない。ひとの評価は、私ひとりの見方ではきめられない。私が感じているのは、彼の小さな一面にすぎないであろう。ひとはひとが見るよりもっと多くの側面を持っている。冥福を祈る。同世代のひとが逝くとなんだか急かされているような気になる。

 

去年から、いくつか私家本をデザインした。一番最新は、金森幸介歌詞集『心のはなし』。彼は来年でデビュー50周年。本人自選の30曲の詞に、森英二郎さんが描き下ろしの版画をつけている。去年5月に金森君に会ったときに頼まれた。森さんに絵を描いてもらって三人で。森さんにはすべて新作でなくてもよいと(金森君については、これまで折りにふれ描いているストックがある)相談したが、30点のオリジナルをそろえてくれた。この本は金森幸介の歌詞集でもあり、森英二郎の版画作品集にもなっている。

 

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〈顔真卿〉
メトロの顔真卿のポスター。あれれ、宋朝体で横組? しかも「顔真卿」、わが目を疑う。サブタイトルの仮名は擬古的な明朝体と宋朝体いっしょにしている。こんな仮名だって横にするのは無理じゃない? 宋朝体の仮名では変だったのか。その下の短いリードでは、似たような仮名に明朝体の漢字を合わせている(寄り引き悪し)。バラバラだね。

 

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〈さんだんじゅう〉
ラジオから、突然「散弾銃」という物騒な言葉が聞こえてきた。「散弾銃? サンダンジュウ?」。おせち料理のコマーシャルの「三段重」だった。

 

三段重

 

〈貼り紙〉
メトロのドアの貼り紙。漢字にルビ。まず上の漢字2字は中付き、下はグループルビ。〈注〉のルビが3字だけど文字が大きいのでルビは親字1字におさまる。いずれにしても字間をあけて組んでいるので、無理なく中付きで大丈夫。よく見ると字間のアキがバラついている。これくらいの字数なら、そろえるのにそんなに手間がかからないのに雑である。書体はMB101B、この仮名はクセがつよい。デジタルになってからはこの書体を使っていない。こんな注意書きに向いているだろうか。気難しいおっさんに言われているような気になる。

 

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〈伊野孝行君と一休さん〉
伊野孝行君が描いた、一休さんの絵の展示が、11月から12月にかけて京都の二つのお寺であった。大徳寺塔頭の真珠庵での襖絵の競作と、京田辺の一休寺での絵巻と掛け軸。どちらも、NHKの『オトナの一休さん』(2016年、全26話。1月からまた再放送があるみたい)がきっかけだそうだ。両方とも見に行ったけれど、作品は撮影できなかったので、お寺の周辺の写真と伊野君から借りた写真を見て下さい。大徳寺は二回行った。最初の10月14日は、大徳寺には塔頭が多いので、そっちを見物していたら真珠庵に行く時間がなくなり、11月8日に京都の友人をさそって再訪。一休寺は京都市内の中心部からは離れているので、あらためて11月30日に行く。これを逃すと、お寺以外で彼の絵を見られるのはいつになるかわからない。

 

大徳寺塔頭の特別公開。見事な庭を見ることができた

 

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真珠庵の伊野君たちの展示の看板

 

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真珠庵の由来である

 

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真珠庵のパンフレット

 

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伊野君の一休さんの御朱印帳。御朱印集めの趣味なんかないが、伊野君のためである

 

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一休寺「祖師と肖像」ポスター。伊野君の一休禅師とお寺が所蔵する重文の頂相が並んでいる

 

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一休寺の伊野君と作品

 

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一休寺の伊野君の色紙。本人に予約してもらって最後の一枚をゲットした。伊野さんありがとう

 

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一緒に売ってmoga(北野深雪さん)の大燈国師のストラップ

 

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一休寺の見事な紅葉はCMのまま

 

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一休寺のパンフレットは三つ折り。お寺を出るとき、受付でお礼をしたら係のおばさんから「ようお参りでした」と言葉をかけられた

 

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〈平松洋子さん〉
最近の私がデザインした本。長くなるので一回に一冊ずつ。

 

『そばですよ』平松洋子著/本の雑誌社/四六判並製
「本の雑誌」で連載中。毎月たのしみにしている読み物。いわゆる立食いそばだが(この本では立ちそば)、そば屋さんのガイドブックではない。味だけではなく、それぞれのそば屋さんのお店の雰囲気から店主や、なりたちが語られている。どの店も、平松さんの気持ちのこもった視線で書かれている。東京にある立ちそばのすぐれたルポルタージュだ。お店のなかでは、「峠そば」「ファミリー」「はせ川」「田舎そば かさい」で食べた。最初の2店は、本文のカラー口絵の撮影のときにいただいた。どちらも美味しい。「はせ川」は仕事場の至近距離で、「かさい」は地元の中野駅前なので、連載を読んでから、何度か食べた。この本を読むと紹介されている全ての店を訪ねたくなる。先日、「人形町ヴィジョンズ」での「風刺画なんて」展のついでに、編集長の浜本さんおすすめの「福そば」に寄った。ここもよい。カバーの絵は、庄野ナホコさん、口絵の写真はキッチンミノルさん。
平松洋子さんが自分の本について「週刊文春」(12月13日号)の連載「この味」で書いている。
〈夜も明けないうちから毎朝だしを引き、つゆを仕込み、天ぷらを揚げ、自分の味をお客に手渡す個人店の暖簾の奥をじっくり取材させていただいた。〉

 

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〈京都の写真〉
京都の地下鉄烏丸線今出川駅のおじさん。

 

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太い丸ゴシックと太い楷書の組み合わせ(下鴨神社にて)

 

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「こわれやすい」という名のパーマ屋さん。FRAGILEといえば、STINGの名曲。建物と書体の組み合わせが絶妙。角でスペルを割っているのもセンスいい。

 

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自動車屋さん。堂々とした文字

 

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いい丸ゴシックじゃないですか

 

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プラハのキュビズム建築を思い出す。この窓の多さとビルの形

 

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太い楷書。誰が書いたのかな。糊のきいた白い暖簾とのコンビネーションで美味しそう

 

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すりガラス。上のほうでグラデーションにして、最初の一字が抜きになっていない不思議なデザイン。

 

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一汁四菜、五百円定食。黄色い紙にオレンジのギンガムチェック

 

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歯医者さんの看板

 

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今日の一曲は、ベタだけど

Fragile/Sting

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ひさしぶりのブログです。

TBSラジオの荻上チキの「セッション22」で外国人技能実習生と外国人留学生の問題を月曜日と火曜日の二日続けてとりあげていた。送り出すアジアの国の側、受け入れる日本側、いずれも利権の構造になっている。実習生と留学生を食い物にしている組織がある。人身売買といってもいいくらいの実体が語られていた。radiko(ラジコ)のタイムフリーサービスで1週間以内なら無料で聴けるので、ぜひチェックしてほしい。

 

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二回目の風刺画展。風刺画嫌いの伊野孝行君の言葉からとったタイトル『風刺画なんて』。去年のメンバーにあらたに、いぬんこさん、吉岡里奈さん、竹内みかさんが加わった。一回目のみんなの作品もおもしろかったが、今年はより強い表現になっている。風刺画を見るには、普通の絵よりすこし時間がかかる。描かれていることを読みとる必要がある。キャプションにも工夫があるので無視出来ない。とはいえ、さすがの手練のメンバーなので、むずかしく考えなくても楽しませてくれる。

 

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『パディントン』と『パディントン2』が面白い。このところ、会う人ごとに薦めている。でも、この話の前にホン・サンス。ひさしぶりに映画館で見たのは『犬ヶ島』。その後、伊野孝行君がほめているから、下高井戸シネマでクリント・イーストウッドの『15時17分、パリ行き』。翌週から、同じ劇場でホン・サンスの特集を見た。
ごぶさたしていたホン・サンス。近作をまとめて4本。『夜の浜辺でひとり』『正しい日、間違えた日』『それから』『クレアのカメラ』2015年から2017年までの作品。予備知識がまったくない。加瀬亮が出た『自由が丘で』(2014年)を見逃してから、途切れている。うかつなものです。
どの作品もあいかわらずのホン・サンスだが、もっとシンプルになっている。これでも映画が成立するのかと思えるところがある。テレビ放映の『アントマン』の翌日にホン・サンスを見た。こんな時代にこんな作品。いつも通り「先輩」が出て来て「長いテーブルでみんなが酒を飲み」「乾杯」「飲んで議論して切れる」。ホン・サンスの映画ではみんな酔っぱらう。グリーンの瓶のチンロとマッコリとビール。韓国はお酒のバリエーションが少ないなー。あんな焼酎ばかりでよくあきないものだ。フィックスしたカメラで、長いシーンが多いが退屈はしない。動かない画面、動くとぎこちない、唐突に寄るカメラ、微妙にスピードを変えたりもする。
キム・ミニは、もほとんどすっぴんのようなメーク。酔う彼女、酔っぱらう相手の男優の演技が生々しい。『それから』の浮気相手と、一日で馘首になって奥さんから誤解されてひどい目にあうキム・ミニが似ている。これは偶然ではなく、意図的なキャスティングなのだろう。男が女に本を渡すのは、『夜の浜辺でひとり』と同じ趣向。
『クレアのカメラ』のラストシーン、キム・ミニがまとめた荷物を箱に詰める、巻き付けてとめるガムテープが途中でなくなり、別の色のテープを足す。これなんか撮影中のたまたまのことではないだろう。クレアの謎のような言葉と呼応している気がする。4本続けて見ると、ホン・サンスは自分が作った様式を組み替えて、楽しんでいるように思える。出てくる男はどうしようもない自意識過剰の映画監督。『正しい日、間違えた日』は、なんとひとつの作品の中で同じ設定で違う話が語られる。『夜の浜辺でひとり』が、彼女の夢の中なのかと思わせる仕掛けと共通する。他の3本と同じ、ここでも男は馬鹿で身勝手で間抜けだ。ぎりぎりまで自分のスタイルを削ぎ落としつつ、あくまで俗っぽさを失わずに愛を語るホン・サンス。そして、彼の映画のなかの若い女たちは生きることについて切実な問いかけをしていた。

 

それから

 

正しい日、間違えた日

 

夜の浜辺でひとり

 

クレアのカメラ

 

さて、『パディントン』と『パディントン2』。ホン・サンスを映画館で見てから、見逃した作品をDVDでひろっている。その中でもこの2本はビックリ。映画館の大きなスクリーンで、よく出来ているCGのパディントンのクマの毛並みを見たかった。『パディントン』では、カリプソバンドが登場する。これで嬉しくなる。彼らが『LONDON IS THE PLACE FOR ME』という1950年代のヒット曲を演奏する。
第二次世界大戦のあと、英領西インド諸島から移民が始まる。1948年から70年代初頭までつづく。大戦後のイギリスの労働力不足を補うために英政府が招いた。ジャマイカ、バルバドス、ガイアナ、トリニダードなど。そのなかのトリニダード・トバゴの音楽がカリプソ。5つのシリーズのコンピレーションCDがある。ジャケットの写真に魅かれる。
この傑作2本を見れば、大都市にいる移民のことが背景にあることに気がつく。原作では、最初にパディントンがブラウン夫妻と会ったときにこんなことを言っている。
〈「もといたところって?」と、奥さんは、たずねました。
すると、クマは、用心深くあたりを見まわしてから、こうこたえました。
「暗黒の地ペルーです。ほんとうはぼく、こんなところにいるのを見つかったらたいへんなんです。密航者なんですよ、ぼくは!」
「密航者?」
ブラウンさんは声を低くして、おそるおそる背後をうかがいました。何だかすぐうしろに警官がノートと鉛筆を持って立っていて、自分たちの話を一言ももらさず書きとっているのではないかという気がしたからです。
「そうなんです。」と、クマはこたえました。「つまり移民したんです。」〉(『くまのパディントン』マイケル・ボンド作/ペギー・フォートナム画/松岡享子訳/福音館/1967年刊/四六判上製

 

原作者のマイケル・ボンドが去年の6月27日に91歳で亡くなった。
〈英国の作家マイケル・ボンドさんが、そのクマに出会ったのは1956年のクリスマスイブのことだった。
家路を急ぐ彼の目に、売れ残って店先にぽつんと置かれたクマのぬいぐるみが、飛び込んできた。見捨てられがような姿に切なくなったボンドさんは、妻への贈り物として買い、自宅近くの駅にちなんでパディントンと名付けた。
このクマを見ているうち、ボンドさんの頭の中で物語が動き始めた。「クマがひとりぼっちで駅に現れたら、どんなことが起きるだろうか?」
そのときボンドさんの脳裏に、ある光景が浮かんだという。戦時中、空襲を逃れるために親元を離れ、スーツケース一つで迷子にならぬための札を首に下げ、列車で疎開した子どもたちの姿だ。
そうして生まれたのが、名作『くまのパディントン』。スーツケース一つもち、ひとりぼっちで未知の国にやってきて、「どうぞ このくまのめんどうをみてやってください。おたのみします」と書いた札を下げたクマ。〉(「筆洗」/東京新聞/2017年6月30日)

 

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今日の一曲はもちろんこれ
London Is The Place For Me/Lord Kitchener

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〈本多さん〉
5月2日、私がお世話になった同い年の編集者が亡くなった。ガンである。1984年、私は彼のすすめで東京にでてきて、高田馬場1丁目で村上知彦と一緒に編集とデザインの事務所を開いた。
 
いしいひさいちさんが彼をモデルに描いたマンガ(『ドーナツブックス』より)
 
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創刊42周年「本の雑誌厄よけ展」公式図録「寄せ書き本の雑誌」(2017年/本の雑誌社)の、椎名誠さんと目黒考二さんの対談。
〈目黒 だから二人でそのままやっていたら「本の雑誌」は創刊しなかったと思うんだけど、そこに俺の知り合いだった本多健治が現れて、「本の雑誌」が実現していった。本多は当時、双葉社で「漫画アクション」の若き編集者だったんだけど、なにかの用で会ったときに「本の雑誌」の話をしたら、「面白い! 俺にも一枚かませろ」って言って「その椎名ってのを呼んで打ち合わせをしよう」って。それで打ち合わせをしたら、本多は行動力にあふれる男で、創刊号の日付から逆算するんだよね。
椎名 びっくりしたよな。
目黒 「じゃあ来年の四月に創刊するからここを原稿の〆切にしよう」ってさ。それからあれよあれよという間に創刊号ができちゃった。それが一九七六年の四月なんだ。本多があのとき現れなかったら、「本の雑誌」は飲み屋の話で終わってたよね。
椎名 そうだな。
目黒 それでさ、実は俺、この間久々に本多と会ったんだ。それでね、俺はずっと謎に思っていたことがあって、本多は当時、漫画の編集者だったわけじゃない? しかも相当それで忙しいのに、なんで「本の雑誌」に一枚かませろっていうくらい食指が動いたんだろうって。それで「あのころ、なにを考えてたの?」って聞いてみたら、本多は本当は小説が好きで小説の編集者になりたかったんだって。ところが会社の事情で漫画の編集部に移されて、当時の「漫画アクション」っていうのは大人気雑誌で、その編集者は社内でも廊下の真ん中を肩で風を切って歩いていられるような時代だったらしいんだけどれど、本多は漫画の編集部にいることにどこか忸怩たるものがあった。そこに俺たちの雑誌の話があって、自分がなにかそこに関われないかって思ったんだって。
椎名 そうだったんだ。
目黒 そんなの初めて聞いて、驚いたんだけど。
椎名 彼は元気だった?
目黒 元気だったよ。双葉社の重役までになって定年した。〉
(「対談 僕らはこうやって雑誌を作ってきた=椎名誠・目黒考二」より)
 
私が東京で仕事ができるようになったのはこの本多さんのおかげである。彼は編集者として数々のベストセラーのコミックを手がけている。ご冥福を祈る。
 

本の雑誌本文

 
寄せ書き本の雑誌
 
〈大高郁子さん、つづき〉
前回、『久保田万太郎の履歴書』の紹介で、週刊文春の池澤夏樹さんの書評と表紙を入れ忘れた。
 
週刊文春「読書日記」
 
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俳人の佐藤文香さんが、大高郁子さんのこの本について書いている(東京新聞5月24日)。
〈久保田万太郎の「私の履歴書」、句集『流寓抄』から文章を引用しながら、万太郎を主人公にしたペン画の作品を配したもの。万太郎が見た景色、住んだ家や交友関係、受賞歴をも絵日記感覚で追うことができ、彼が身近に感じられる。〉
なるほど「絵日記感覚」である。それが『久保田万太郎の履歴書』の面白さなんですね。
 
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『久保田万太郎の履歴書』の出版記念の個展に合わせて作られた、『名刺判 久保田万太郎句集』。アダナ印刷機の名人で、久保田万太郎のファンの横溝健志さんが、大高郁子さんに絵を描いてもらい仕上げた労作。横溝さんが選句し、一句一点の絵で100枚が名刺の箱に入っている。活版多色刷りもあるのがすごい。珠玉の手技。残部あります。
 
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〈選挙に行こう〉
中野区長選。子供の絵。「選挙にコイ」。鯉らしい魚が描かれている。こんなポスターで選挙に行く気になるのかな。サイズが小さい。A4とA3。掲示板の中でほかのものに埋もれてしまう。他でもない大切な投票をうながすポスターなら、選挙期間は掲示板全面に一枚だけにすればよい。これを見ていると、選挙管理委員会がいかに選挙の社会的な意味をよく理解していないことがわかる。候補者のポスターが貼ってあるパネルの横にも巨大な「選挙に行こう」というポスターをつくってほしい。
まず有権者が投票にきてくれなければ意味がない。この子供の絵は〈平成29年度明るい選挙ポスターコンクール中野区入選作品〉。全国の小、中、高の生徒に、「明るい選挙推進協会」が描かせている。選挙に関心がうすく、毎回あきれるほど投票率の低い日本では、選挙の啓発は大切なことだろう。
デザインの理論や技術からはほど遠く、直接に投票権のない子どもたちがポスターをつくることにどんな意味があるのか。私も中学生のときに、全国安全運動のポスターを描いて大阪府知事賞をもらったことがある。社会にむけて重要な提案をするポスターなのに、なぜグラフィックデザイナーにまかせないのだろうか。啓発のために盛り上げるポスターコンクールなら、子供だけではなく全世代に描かせて、選挙のある時期にあわせて大々的に展覧会をすればよい宣伝になる。応募作が現実にポスターとして使えるレベルの作品なのかどうかは別のことである。こういう公的な告知をするというのはそういうものではない。諸外国では公共広告こそ力をいれてしっかりデザインされている。それぐらいの判断や知識がなければ、まともな「選挙推進協会」でも「選挙管理委員会」でもない。この国の投票率と低さ(特に地方選挙)は、深刻な問題である。そのことをもっと真剣に考えてほしい。投票率が低ければ、組織票を持っている候補者に有利などというのは、とてもまともな選挙とは思えない。
中野区長選の前回2014年6月8日の投票率は29.49%。過去の投票率をみると平成10年(1998年)に25.21%というのがある。選挙期間も短い。不思議に思う。選挙を周知させる努力をしないこととはなんだろう。恥ずかしいのは、投票に行こうとしない区民なのか、選挙があることを知らせる努力をしないひとたちなのか。中野区長選挙のポスターをつくるなら、子供の絵なんかではなく、まずこれまでの投票率の低さを訴えたものでなければならない。かれらには切実さがない。
6月10日の日曜日の中野区長・区議会議員補欠選挙の投票率は、雨天にもかかわらず34.45%と少しあがった。前回、自ら提案した多選防止条例を反古にして4選し、今回5選を狙った現職が負けた。区議会議員の補欠選挙も自民党が落ちて、立憲民主党の候補が当選した。5%投票率が変わるだけでこんな結果になる。
 
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中野駅前の大きなバナー。たくさんの人がこの前を通ってふさぐのであまり効果的ではない。
 
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〈大阪弁と牧村史陽〉
「大阪辯」(大阪ことばの會編/第1輯から6輯までは清文堂書店刊、第7輯は杉本書店刊/昭和26年8月から29年10月まで/B6判/並製だが表紙にすこしチリをつけている)
創刊号の「編集後記」〈雑誌の形式をはずした雑誌、郷土の研究もあれば軽い読み物もある、知識人にも向けば大衆にも喜んでもらえる、そしてあくまでも大阪の郷土色たっぷりのものーこうした最初の企画が、さて取りかかって見るとなかなか思うようにならぬので閉口したが、どうやらここまで漕ぎつけることが出来た。〉
最後になった第7輯の「あとがき」では〈なぜ出さぬのやと、各方面からずいぶん請求を受けた。出さないのではなく、発行所も編集者も共に出せば赤字のために出せないというのが真相である。(略)ところでいよいよ、三年ぶりに第七集が出た。発行所が変わったが、杉本書店主は、赤字もあえて辞さない、大阪のためになることなら多少の赤字くらいかまへんやないかという決意を見せてくれたので私もついに復刊の覚悟をきめた。〉(いずれも、牧村史陽)「大阪辯」は、惜しくもこの第7輯で終わる。
 
毎号の表紙が面白い。第一輯(昭和26年8月/実は23年/奥付の貼り紙が他の号と違うので26年に増刷したものかもしれない)の絵は生田花朝(編集後記で「生田花朝女史の装釘は大阪の郷土色豊かなのもの」とだけ書いてある)。二人の子供が祭り太鼓をたたきながら歩いている。その横で女の子が踊っている。夏の号なら天神祭りだろうか。第二輯(23年10月)は、ねじり鉢巻をした大きな蛸のつくりものにひとが入っているのを、みんなが笑いながら羽子板状のものについたのぞきめがねで見ている。なんだろう。見世物か。山口草平の絵。第三輯(24年8月)は長谷川貞信、表紙に母におわれた幼子が幟をもっている。天神祭りだろう。
第四輯(24年12月)、これは賃搗屋(ちんつきや)だろう。雪がちらつく中、二人の男が火のついた大きなかまどにせいろをのせて運んでいる。うしろのおやじが杵をもっている。絵は菅楯彦。第五輯(26年8月)には表紙絵の解説がある。〈「四天王寺舞楽」陵王の図〉。だが絵描きのクレジットがない。署名は家平。第6輯は「みなみ」特集。道頓堀かな? 今の道頓堀川にくらべると、ちょっと広い感じがする。田村孝之介。第7輯の表紙は「浪花川崎鋳造所之図」(明治4年、1871年、2月に開業した造幣局)とある。長谷川小信(二代長谷川定信)の浮世絵版画。
 
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『大阪ことば事典』牧村史陽編/昭和54年(1979)刊/講談社/四六判/函・上製・表紙=布に印刷・カバーなし/挿絵=四代長谷川貞信)
牧村はこの事典の刊行日(奥付は7月15日)の前、4月25日に亡くなっている。巻頭の「はしがき」は昭和54年初春。
〈本書の前身たる『大阪方言事典』の編集を思いたったのは昭和十年頃であった。(略)その後、同好の士と集まって「大阪ことばの会」を結成し、『大阪弁』に「大阪弁集成」と題してそれを発表(略)とうとう『大阪方言事典』(昭和三十年、杉本書店)という形になったわけである。(略)その後さらに二十数年、再刊を望まれる声を耳にすることも多く、また折りにふれて書き留めた新原稿もかなりの量に達したので、ここに旧版の不備を正すとともに、新原稿を加え、新たな一本として上梓することにした次第である。(略)これをもって、私の大阪ことばの研究はいちおうの纏まりがついたものと考えている。私が生まれた明治三十年代には、幕末生れの者が社会の中核をなしており、それらの人達のほとんどは古い慣習を固守していた。この人達の言葉が私の耳に残っているのを、私は大変幸なことだと思っている。こうした古い言葉を含めて「大阪ことば」の今日までの変遷を記録することが出来るのは、私の年代の者をおいて他にいないと思う。
結局、本書は明治中期以後大正時代までの三十年間を中心として、その後今日まで大阪市内で常用された言葉を集録したものであるが、大都市の性格上、他地方の方言がいくらか混入するのは免れない。都市も生きものであり、言葉もしかり、その点は諒とされたい。また、私の生活基盤が船場にあったため、この地の言葉が多い。しかし、大阪の歴史はこれまでずっと船場によって支えられてきたのであるから、その点、本書のかたより方もいくらか意味があるものと思う。(はしがき)〉
奥付に牧村の略歴がある。〈まきむら・しよう 明治31年10月1日、船場(内本町1丁目12の3)の木綿問屋の長男に生まれる。大倉商業(現、関西大倉高校)卒業後、父の死を機に家業を別家に譲り、独学で郷土史関係の実地調査、記録作成に打ち込む。昭和27年から郷土史研究グループ「佳陽会」を主宰。「郷土史は足で書け」が持論であった。(以下略)〉
 
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大阪ことば_4_扉 

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大阪ことば_6_はしがき

 

大阪ことば_7_凡例

 

大阪ことば_8_奥付

 

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『大阪方言事典』牧村史陽編/昭和30年(1955)刊/杉本書店/B6判/函・上製カバー装/カバーの袖がとても短い。たった30ミリ。
 
『大阪ことば事典』の24年前にこの本がある。巻頭で牧村史陽がこんなことを書いている。
〈本書の編集を思い立ったのは昭和十年の頃であったが、当初はこれを発刊しやうなどといふ大それた考へはなく、ただ自分の備忘のために気の付いたものを一つづつカードに書きとめてゐたにすぎなかった。(略)その間に太平洋戦争といふ大きな事変があったが、軍事に徴用されることもなく、ひたすら好きな道を歩むことの出来たのは幸ひであった。そして、昭和二十二年に至り、同志の賛助を得て『大阪ことばの会』を結成、その機関紙として『大阪弁』を発行し、その中に『大阪弁集成』と題して「あ」から「こ」の部までをはじめて世に問ひ、その後引き続き昨年同第七集までに「み」の部までを掲載した。(略)『大阪弁』は発行する毎に多大の赤字が出て、それがため発行も編者もその物質的負担に堪えず、次号の発行がおくれてゐるような始末であって、これでは折角の期待に添ふ所以でないと、遂に断平この『大阪方言事典』の編集を決意したのである。〉
 
『大阪方言事典』の巻末の「あとがき」からいくつか。
〈近頃、標準語の普及といふか、大阪弁の標準語化とでもいふか、大阪でも、若い人達の間では、たしかに昔の純粋の大阪言葉は聞けなくなってしまった。〉
〈少し気をつけて見れば、我々大阪人の間でも、この頃は相当変てこな言葉を使ってゐることがわかる。
「ちょっとそれ取って頂戴ンか」
などというのがそれである。〉
〈谷崎潤一郎さんの『細雪』が発表せられた当座、これこそ大阪言葉の標本だなどとやかましくいはれた。なるほど、谷崎さんの大阪弁はかなりよく書けてゐる。しかし、あれは実は、昭和九年の関西風水害当時から十五年頃までとはっきり作者が年代を指定してゐる通り、その時分、つまり今から二十年ほど前の、船場言葉といいふものが大分崩れかけて来た頃の大阪弁であり、あるひは、芦屋言葉とでもいふような、東京のいはゆる”ござァます”式の言葉がぼつぼつ出来かかって来たその原型と見てもよいのであって、それ以前の古い大阪言葉ではない。〉
〈大阪言葉の代表は、何といっても船場言葉であって、実にきれいな、何となく甘ったるいものなのであるが、この船場言葉を使ふ人が、今はほとんどなくなってしまった。今一般に使はれてゐる大阪言葉は、実は上町あたりの職人言葉が土台になってゐるのであって、だから上品さを欠いてゐるのは当然のことかも知れない。〉
〈『細雪』の中にも、我々船場人としてはどうも困ると思ふやうなきたない言葉遣いがたくさん出てくる。
『帰るなァ、姉ちゃん』
『こっちもすんだで』
これなどはまるで場末の長屋ででもつかふやうな言葉であって、こんな下品な言葉は、船場では、たとへ目下の者に対しても決して使ひはしなかった。
「帰らはるなァ、姉ちゃん」
もう一つていねいにいふと、
「お帰りやすなァ、姉ちゃん」
何かよそいきの言葉のやうではあるが、我々は実際にかういふ言葉を常に使はされて来たのである。
「行ってきまっさ」ーーこれは「行てきまっさ」と、促音のツを取ると大変やはらかく聞こえる。これが大阪言葉の一つの特徴といってもよいのであって、船場の商家の御寮ンさんなどが、「ちょと行てさんじます」といふのを聞いてゐると、いかにもしとやかな、普通の船場の生活が浮かびあがってくる。〉
〈あの「いらっしゃいませ」ははっきりと東京弁であって、大阪には「おいでやす」といふ独特の味を持った言葉があるのを忘れてゐたのだ。〉
〈この夏発表された映画『夫婦善哉』は、俄然東京方面で好評を博したらしい。なるほど、主役の森繁、淡島をはじめ、浪花千栄子や志賀廼家弁慶などいづれも大阪言葉を使ひこなしてゐる。しかしそれらはすべて中流以下の言葉であって、ここでもやはり船場言葉がまるきり出来てゐない。(略)あの主役柳吉は、いかに身を持ち崩していやうとも、船場のボンボンである。たとえ言葉は下賤であらうとも、その中にボンボンらしい鷹揚な品格が蔵されてゐなくてはあの映画の価値は半減される。〉
〈とにかくかうして、大阪弁は、次第に標準語に駆逐されて、悪い部分だけが残されてゆく。これは今のうちに文字としてだけでも書き残しておかなければ、近い将来に、西鶴や巣林子のあの数々の名作も、大阪の神髄に接することもなくただ机上のみで間違った解釈を下して足れりとしている人達のために歪めたものとなってしまふかもしれないことをおそれて、本書の刊行を敢へてした次第である。〉
 
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大阪方言_4_後見返し
 
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大阪方言_5_例言

 
大阪方言_6_目次
 
大阪方言_7_船場_2
 
大阪方言_8_船場_1 

大阪方言_9_あとがき

 

大阪方言_10_奥付

 
〈松本タイポグラフィセミナー〉
青森のあと松本へ行ったのは、「松本タイポグラフィ研究会」の「書物と活字」シリーズ第一回のセミナーに参加するため。これは去年の三月から、友人の向井裕一君が松本の印刷会社のデザイナーたちと、三回の勉強会をした成果である。講師は、最近『文字と楽園 精興社書体であじわう現代文学』を上梓した正木香子さん。宿泊した「松本ホテル花月」の部屋に柚木沙弥郎さんの作品が飾ってあった。6月24日までだが、柚木さんの展覧会が今日本民藝館でやっている。
 

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柚木さん_2 

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セミナーの翌日は、正木香子さんと松本市内をぶらぶらする。松本城の後、お昼は開智学校の前で客待ちしていたタクシーの運転手さんが教えてくれた「もとき」という蕎麦屋さん。お店の名前は切り絵風のモダンな描き文字。そのあとに見つけた看板「婦人服のマルキ」。下の電話番号の処理もなかなかである。正木さんの感想は「これでもマと読めるのが不思議ですね」。私はいつも形の面白さだけで、こういうデザインを写真にメモしているだけだが、正木さんの文字の見方はちがう。
その近くの「モード まきやま」の看板もいい雰囲気。こういう看板文字やデザインに惹かれるのはなぜだろうか。単に〈ズレ感〉をおもしろがっているわけではない。すがれた感じや未熟さを笑っているのでもない。なにだろうか。時間の中で置き忘れられてデザインのすべてが面白いというわけではない。むげにできない、だからといって今まともに使えるわけではない。ほほえましいだけでもない。さて。
 
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絵葉書みたいな松本城である
 
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タバコ屋さんの前、舗道の真ん中に郵便ポストがある。道路拡張でこんな向きにこのような場所になったのか。向こうに開智学校が見える
 
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そのたばこ屋さん。横にパイプの絵がある
 
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開智学校。上の塔を修復中。入口の上の天使。設計者の立石清重が、錦絵版「東京日々新聞」のタイトルの絵に感心してモチーフにした
 
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その第一回目のセミナー、正木香子さんの「おいしい文字のチカラ」の報告が届いた。

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「書物と活字」シリーズの二回目は、「本文書体の作り方と見方」というお題で、講師は鳥海修さん。7月28日(土)に松本で開催。

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〈John Prine〉
前回の「今日の一曲」のJohn Prineの新しいアルバム、The Tree of Forgiveness。72歳、ジャケットは現在の彼の顔。すごいです。裏面は、金森幸介君愛用の自称「ベニヤ板」もまけそうな、つかいこまれたマーチンのギター。2005年のFair & Square以来のオリジナルアルバム(前回のは、2016年に出たデュエットアルバムで曲はカバー)。
 
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今日の一曲
Don’t Give Up On Me/Solomon Burke

(Dan PennとCarson Whitsett、Hoy Lindseyの1998年の曲)
 
solomon burke
 
dan penn

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〈近松世話物〉
『近松世話物三種』大正10年10月刊/1921年/湯川松次郎/函入り上製・布装/本文サイズ=128ミリ×92ミリ/本文8ポ/行送り15ポ/書体は内田明さんのご教示である。〈本文活字の書体は築地8ポと同じだが古い六号ボディー(7ポ75相当)。明治20年代(後半?)から大正(末?)まで、築地六号hじゃ7ポ75相当。奥付の井上書籍印刷所のクレジットは「フワンテール」あるいは「フワンテル」などという名前で築地系の見本帳にある活字の9ポでしょうか。〉これは「ファンテール」という名称で、写研によって1937年に文字盤化されている。

 

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編者が選んだ近松の世話物『大経師昔暦 たいきやうしむかしごよみ』『壽門松 ねびきのかどまつ』『女殺油地獄 をんなごろしあぶらじごく』の浄瑠璃を活字化した本。出版社名が奥付、函、本文にない。奥付に編集兼発行者として湯川松次郎の名前がある。このひとは1930年に湯川弘文社(現在は弘文社)をつくっている。目次はない。最初に文字の扉があり、次に木版の絵(観邦画と署名がある。小林観邦という画家か)、「おさん茂兵衛」のおさんが猫を抱いている。そして解題、波形の罫で本文が囲まれている。函にも表紙にも絵があるが、いずれもタッチがちがう。これらの絵のクレジットはない。函は大津絵風、表紙はちょっとモダンなアールヌーボータッチ、口絵は浮世絵。表紙は薄い水色で、着物のしぼりの模様があしらわれている。見返しはピンク色の紙。本のサイズも、外装の意匠もかわいらしい。奥付は、シンプルだが罫の使い方がおもしろい。この最終頁も全体のかわいい路線にそったデザイン。印刷所のクレジットに変わった書体を使っている。こういう奥付の工夫(遊び)は誰が考えるのか。編者か組版職人のアイデアか、両者の共同作業か。
これは京都のUmweltに常設されている「あがたの森書房」の本棚にあった。弘文社の沿革によると〈1904年(明治37年)湯川松次郎、19歳の時、大阪市東区平野町において書籍小売店を開業〉とあるから、この本は湯川が26歳のときである。解題の最後の〈岸の里の僑居にて 編者識〉に、年配の浄瑠璃好きがつくった本を想像していた。

 

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ファンテール

 

〈赤ひげ〉
昨年末、NHKBSで『赤ひげ』を見た。封切り時の1965年、私は16歳。そのときも、その後も何度か見ている。

〈原作「赤ひげ診療譚」は小石川療養所につどう患者たちの横顔を切り取った八編からなる連作で、周五郎の本領が存分に発揮されたヒューマンドラマである。黒澤は三時間という長尺のなかに原作のエピソードを巧みに配置しながら、荘厳な交響曲のようなタッチで全編をまとめあげ、あの周五郎をして「原作よりもいい」といわしめた。〉〈それまでつねに圧倒的な強さをそなえた武士を主人公とし、社会悪に対して時に正義の暴走とも思えるほどの徹底した憤りを表明してきた黒澤が『赤ひげ』においては三船 “三十郎” 敏郎演じる武士然とした医師・新出去定はあくまで各エピソードの狂言回しにとどめ、貧困という病をかかえた市井の者たちの “弱さ” あるいは “醜さ” をも優しく包み込むような視点で描いているということだ。〉(「山本周五郎原作映画の系譜」佐野享「文藝別冊 山本周五郎」2018年4月/河出書房新社)
この通り、いくつか挿話は省かれているが、山本周五郎の小説を丁寧に映像化している。映画の中で唯一の、胸がすく三船敏郎の赤ひげのアクションシーンは、原作とまったく同じ。
〈「じじい」と彼は問いかけた、「てめえ本当にやる気なのか」
「よしたほうがいい」と去定が云った、「断っておくがよしたほうがいいぞ」
男は突然、去定にとびかかった。
登はあっけにとられ、口をあいたまま呆然と立っていた。裸の男がとびかかるのははっきり見たが、あとは六人の軀が縺れあい、とびちがうので、誰が誰とも見分けがつかなかった。そのあいまに、骨の折れるぶきみな音や、相打つ肉、拳の音などと共に男たちの怒号と悲鳴が聞え、だが、呼吸にして十五六ほどの僅かな時が経つと、男たちの四人は地面にのびてしまい、去定が一人を組伏せていた。のびている男たちは苦痛の呻きをもらし、一人は泣きながら、右の足をつかんで身もだえをしていた。〉
時代劇なのに、映画の画面と構図はシンプルでモダン。原作の乾いた文体に触発されている。引用した「文藝別冊」では、この小説をヒューマンドラマとしているが、文章はハードボイルドで現代的で、人間の生きる苦悩と悲しみが謎解きのように描かれている。この文体が映画に影響を与えている気がする。『椿三十郎』のあと『天国と地獄』をはさんで、この『赤ひげ』。人物の目に光をいれているのが印象的。光と影のコントラストが強い映像と、キャッチライト。余分な感情をゆるさないほど禁欲的な絵柄。黒澤はこの映画だけでなく、作品ごとにさまざまなこころみをしている。あらためて彼の映画に興味がわく。年の暮れの夕方、軽い気持ちで見はじめたのに引き込まれてしまった。
小説では、赤ひげ新出去定がこんなことを言う。
〈「(略)おれはやっぱり老いぼれのお人好しだ、かれらも人間だということを信じよう、かれらの罪は真の能力がないのに権威の座についたことと、知らなければならないことを知らないところにある、かれらは」と去定はそこで口をへの字なりにひきむすんだ、「かれらはもっとも貧困であり、もっとも愚かなものより愚かで無知なのだ、かれらこそ憐れむべき人間どもなのだ」〉

 

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今年になって出た「黒澤明DVDコレクション」のシリーズ。年の暮れのBSの黒澤特集はこれと連動していたのだろうか。第一回は『用心棒』。『赤ひげ』は第三回。モダニストの黒澤明なのにパッケージのデザインが古すぎる。紙の部分の編集はおざなり。まともな黒澤明論でもあるのかと期待したが、封切り時のオリジナルのパンフレットやポスタ―とインタビューだけ。DVDコレクションなどこんなものでいいというつくりが、時代錯誤じゃないか。

 

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〈青森〉
3月は、青森と松本(松本のことは次回に)に行った。青森では、雪に埋もれた青森県立美術館を見に行った。一泊二日の翌日は棟方志功記念館にも。残念ながら県立美術館の内部は撮影禁止。常設くらいお許しいただけないものだろうか。かろうじて入口のレタリングを撮る。このレタリングが館内のサインデザインにすべて使われている。目眩がする。冠雪した奈良美智の巨大な犬は外にあるからか、ガラス越しに撮影できた。若い外国人のお客さんが多かったのはこれが目的かな。青森市内の商店街の新町通りの看板はちょっと懐かしいデザイン。ゴナと矢島週一さんの『図案文字大観』のアレンジのように見える。文字の先のギザギザがこまかい。

 

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図案文字大観

 

TIME誌、2018年4月23日号の表紙。なんと、2017年2月27・3月6日合併号のつづきである。去年は「Nothing to See Here.(ここからは何も見えない。)」大統領執務室の机。左からの横殴りの雨と風。トランプの金髪が右になびいて、書類が散らばっている。
今回は「Stormy.(嵐。)」、前回の机が嵐の海に消えてしまっている。Tim O’Brienの絵は前回のバリエーション。
2018年1月22日号の表紙は、「Year One.(一年目。)」トランプの金髪が炎上している。

 

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〈大高郁子〉
2月に出た大高郁子さんの『久保田万太郎の履歴書』の書評。毎日新聞日曜日の「今週の本棚」(4月8日)と「週刊文春」4月19日号の池澤夏樹さんの「文春図書館 私の読書日記」に。毎日新聞は無記名の短い欄だが、無駄無く要を得て的確な文章である。隣に見返しの絵が掲載されている。〈ふとした折に久保田万太郎のことを知った大高郁子は、次第にその世界にひきこまれていった。この本は、その自然で幸福な出会いと探索の結晶である。巻末の精細なガイドと地図は、文学への旅情をさそう。これまでにない形式で書かれた、とてもすてきな文芸書。〉
池澤夏樹さんのほうにはこんなことが書かれている。〈文章の部分は久保田自身が書いた「私の履歴書」とその続編ともいうべきもの、それに編者の追加が少々。いわば圧縮された自伝である。これを短く切って一ページごとに配し、そこに絵をつける。絵だからここには引用できないのだが、これが見事。味と風情があって、この劇作家・作家・俳人の」立派とダメがよく伝わる。〉

 

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毎日新聞「今週の本棚」_1

毎日新聞「今週の本棚」_2

 

〈春一番2018〉
今年も春一番コンサートのポスター。いつもの森英二郎さんの木版画である。

 

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〈衣笠祥雄〉
行きつけの中野鍋屋横丁のラーメン屋さんで、4月23日に亡くなった衣笠祥雄を悼んで彼の背番号が飾られていた。もちろん店主は大の広島ファン。

 

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〈今日の一曲〉

Remember Me/John Prine and Kathy Mattera

古いカントリーの名曲を、ジョン・プラインが2016年のデュエットアルバムFOR BETTER, OR WORSEでやっている。この曲は、ノラ・ジョーンズがTHE LITTLE WILLIESのFOR THE GOOD TIMES(2012年)で、ウィリー・ネルソンがRED HEADED STRANGER(1975年)とりあげている。

 

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remember me_norah jones

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〈竹内みか〉

描き癖にまかせた、個人的なファンタジーや身の回りの小物の退屈な絵や、スタイルだけの浅薄な風景や人物のスケッチではなく、はっきりと自覚して自分が描きたいものに焦点を絞っている。それに合う表現手段と技術がある。彼女が描くのは遊園地にある「メロディペット」。さまざまな模索のあとにこのモチーフに出会った。大切なのは「どう描くか」ではなく「何を描くか」である。

去年、HBギャラリーの「ファイルコンペ」に応募したが、大賞をとったという連絡があるまで、そのことは全く忘れていた。神戸生まれの神戸育ち、阪神淡路大震災のときは小学一年生だった。

HBギャラリー「ファイルコンペ日下潤一賞/竹内みか個展『センチメンタルパーク』7月28日(金)から8月2日(水)まで

 

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〈石川九楊展〉

7月5日から、「書だ! 石川九楊展」が始まった。チラシ(裏面4種)、ポスター、図録(縦横二分冊)などをお手伝いした。よく考えられた展示デザインで見応えがある。じっくりと石川さんの作品を鑑賞できる。これほどまとめて見られるのは貴重な機会だ。ぜひ、ご覧いただきたい。30日まで。

美術館の大きな壁面のそばにいるのは、私のアシスタントの赤波江さんと京都精華大教授の高橋トオルさん。入口の看板には字游工房の鳥海修さん。いずれも内覧会で。

 

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〈K〉

『K』谷口ジロー:画/遠崎史朗:作/リイド社/1988年刊/part 1から4まで/A5判/並製

『K』谷口ジロー:画/遠崎史朗:作/双葉社/1993年刊/part 5が追加されている/A5判/並製

 

両方とも私のデザイン。リイド社のはジャケットだけ外回りのみ。双葉社の本では、目次、扉、奥付、ノンブルと柱をあらためて作っている。別丁扉(化粧扉)には、カラーでリイド社版のカバー絵を使用。カバーの絵は、新版のための谷口さんの描き下ろし。

 

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毎度、おなじみ「TIME」。2017年6月12日号。スローガンの「アメリカ ファースト」ならぬ「ファミリー ファースト」とは気が利いたタイトル。日本の安倍ならさしずめ「お友達 ファースト」か。彼はいつになったら国民に目がいくのか。みずからが国民の代弁者であり、委員会や国会で彼に質問をする野党議員もまた国民を代表していることが理解できているなら、安倍も菅も見え透いた愚かな言辞を弄することもあるまいに。

 

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